あるいは無知がもたらす予期せぬ奇跡

人間生きてりゃ家を買うようなこともあり、おれは当初全然その気がなかったんだけど生きてたせいで家を買うようなことになった。

家を買うというのにはなにしろ要素が多いが人生の時間は有限なのでそのすべてについて十分に熟考を重ねるというわけには当然参らず、ほんとのとこをいうとごく一部だけ、それも自分の気に入る情報だけを見て判断を下したとすらいえるのでどこかに失敗があればいつか清算せねばならないのだが人生とは大体においてそうしたものである。


おれの場合最初はチラシの、よくある新築マンション分譲中!nLDKが月々X万円から!というやつでいかになんぼ世間知らずのこのおれもさすがにそのXを鵜呑みにはしなかったが(なにしろ諸々の手続きを終えた今ですら月の支払いをX万円に収める計算式がとんと見当もつかぬ)、Xはいまの月々の家賃よりも下の価格だったので、広い新築に住むのになんぼか上乗せすることを検討してもいいだろうと思ったんで、モデルルーム見学というやつを申し込んだりしたがこの時点でもおれは、家を買うということを冗談か何かだと、まだ何年かのあいだは縁がねえこったろうと勝手に思っていた。

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とにかくファーストコンタクトでそんくらいまで話進むってのはマジなのでびっくりしないように備えておきましょうというのが今回の文章で、しかもそんなのせいぜい肚一つ、家買うにあたって知っておくべきこと覚えておくべきことは他にもっと全然無数にあるので、その中でおれが体験した一部を今後書いていこうと思います。あとスピード感はどこ行っても似たようなもんだった。あな恐ろし。

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