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真実の音

夜の街を駆けるタクシーの後部座席で、二つの頭が寄り添って夢を見ている。
彼らの体は重なり、腕と腕は絡み合っている。けれど客観的な目で見ると、そうしてお互いを温め合う二人の様子は、恋人同士というよりも他に拠りどころのない仲の良い兄妹のようだ。
二人は、各々の夢の傍ら、今日の出来事、数時間前のことを思い出していた。

二人は兄妹ではなく、恋人同士でもなかった。単なる異性の友達同士。今日は他の友人たちも含めて飲み会があった。

誰の意図があったわけでもない(と思われる)のだが、集まった六人は、男女それぞれ三人ずつだった。
タクシーで寄り添っていた二人の女性のほうであるレイは、内心、面白くなかった。しかしそれは内心に留めておいた。どうしてだろう、この世界では、素直でない人は堂々と気分を表現して周りから気遣いを得ることができ、素直な人は気持ちを押し込めて笑顔の仮面をつける義務を担う。レイは後者に属した。

レイの隣に、カイがいる。カイの向かいに、依子。依子がカイに好意を抱いていることは周知の事実だ。カイと依子の隣には、それぞれ拓也と園美がいて、二人は付き合ったばかりの恋人同士。レイは、思わず向かいに座している祐介に救いを求める視線を送った。祐介は、レイの気持ちを汲んで優しく微笑むが、残念ながらレイの淋しさを埋めることができなかった。
会は、つつがなく進行していった。
拓也と園美は、テーブルの下で手を繋ぎ、素知らぬ顔をしていたが、その場の全員が水面下の動きを知っていた。
水面下といえばもう一つ。依子はカイの注意を惹くことにまるで、このイベントの存在意義があるのだ、とでも言いたげに、必死にカイに話しかける。カイも、そんな依子を温かく迎え入れ、適切な対応をする。
いつもは、カイと軽口を言い合うレイだったが、今日ばかりはそんな悠長なことはしていられなかった。席が端であることをいいことに、みんなの注文を店員へ伝えたり、空いた皿を下げたり、といった雑用をし、祐介のたわいもない話に耳を傾けていた。

しかし、レイにはわかっていた。祐介の意識は、拓也と園美の動向を見張ることに終始していて、レイのことは頭の片隅にあるだけだといことを。

レイは、こんな言葉をこんな場面で使うのはいささか軽率にも思えるが、しかし間違いなく、孤独を感じた。

レイの耳に自分の名がかすめた。レイが我に帰ると、依子が視線を送っていた。どうやらカイがレイを話題に出したらしい。レイがカイに聞き返すと、カイは声を大きくした。
「だから、レイは普段ガサツだから、こういう皿を下げたり注文とるのは慣れてないって言ってんの。よっちは、違うもんなー」
依子のことをカイは、よっち、と呼ぶ。依子は「私だって、慣れてないよー」と可愛い笑い声を出しながら笑っていない目でレイを見つめる。穴があいてしまいそうだ。
「なんか、今日はおとなしいな、レイ?」
カイが「今日は」とか「普段」とか、そういう日頃の交渉を連想させる単語をさりげなく使ってしまうことに対する依子の過敏な反応が怖くて、レイは顔を彼らに向けられなくなっていた。
「そうかな?いつもこんな感じだけど」
もごもごと、口の中で言うと、レイはその場を取り繕うために立ち上がってお手洗いに向かった。

お手洗いから席へ帰ろうとすると、廊下に祐介がいた。
「あれ?祐介、どうしたの、突っ立って?トイレ混んでる?」
レイが呑気に問いかけた祐介の視線の先には、さっきまで自分たちが座っていた席があり、その先に拓也と園美がじゃれあい、声をあげて笑っている姿があった。
「楽しそうだな、園美。」
自分と同じような孤独の享受者を、レイは同情を込めて見つめた。すると、祐介は踵を返して廊下を歩いていった。思わずレイはその後を追いかけた。
「大丈夫?祐介、、」
「大丈夫じゃない」
祐介は、突然、レイの体をその広い肩幅に包んだ。レイの背中に回された腕がきつく締まる。
抗うことができずに、祐介の胸の鼓動を聞いていると切なさに溢れてしまう。この早くて温かなくて切ないリズムは恋の流れる音だ。行き場を失くした恋がさまよい、右往左往する足音。

レイは自分を恥ずかしく思った。レイはカイに、恋をしていない。ただ親しい友達を、恋という凶暴な力に奪取されるのが悔しいだけだった。依子よりも、自分のほうがカイに近いと、優越感を得たかっただけだった。祐介の気持ちとは、まるで違う。
そんなずるい自分が恥ずかしかった。レイは、祐介を抱き締め返した。二人して違う人のことを想って、痛みを紛らわせようとしている。その共犯意識がさらに二人をきつく、長く抱き合わせる。

飲み会が終わり、全員が店の外に出ると、カイが急にレイの側に立った。
「何をボーッとしてんだよ」
カイがレイの頭をこづく。
「痛い、、」
レイは頭を抑えた。顔が赤く、いつになく酔っ払っていた。遠くで救急車のサイレンの音が聞こえる。
「しょうがない奴だな」
カイは、レイの腕をつかみ、自らの体に引き寄せた。
「家、近いから、こいつはオレが連れてくわ」
レイは、体を強ばらせた。
「行くぞ、よっち、お前も同じ方向だろ」
そう言いながら、カイは早くもタクシーを停めていた。レイを後部座席の奥に座らせ、自分も乗り込んだ。依子は何も言えずに、その隣に座った。レイは、酔っ払った心持ちを最大限に引き出して、狸寝入りをした。みんなが口々に別れの言葉を口にするのを目をつぶって聞いていた。タクシーの扉が閉まり、車はゆっくりと滑り出す。

そして、依子の家には、存外早く着いた。絶賛狸寝入り中のレイは密かに彼らの会話を聞いていた。依子の声は泣き出しそうに震えていた。依子はタクシーを降りて、別れの言葉を口にした。カイは、短く、またな!と言った。タクシーは残酷にも素早く動いた。

カイは車内が広くなったので、その分広く使おうと、腰を浮かせたが、ふと、レイに腕を掴まれた。酔ったレイが寝返りを打つ際に、カイの腕をとり、体を大きく横たえて、寄りかかってきたのだ。身動きがとれなくなったカイは、席を動くのを断念して、そのまま自分も目を閉じた。

もちろん、レイは寝ぼけているのではなかった。しかし、完全に意図的でもなかった。酔っ払っていたのは事実で、意識は少し薄くなっていたが、カイが離れようとするのを反射的に体が拒んだのだった。
カイの胸に自分が顔をうずめる形になっていた。カイは動かない。レイから離れるでもなく、抱えるでもない。はっきり言えば、諦めたように身動きせずに固まっている。しかし、レイは、はっきりと聞いてしまった。胸の鼓動。それは、恋の流れる音。行き場のない恋が、足踏みする音。

人は嘘をつく。大した嘘ではないことのほうが多い。自分をよく見せるため、人より少し優越感を得たいため、、、。

しかし、この音は、真実だ。

例えこの音が彼女に向けられたものではなくても。

レイは自然と意識が遠くなっていくのを、感じた。それは、心地よかった。真実に触れることが、こんなに心地よいこととは、思わなかった。

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