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参禅堂を建てた「ガン」

先人の智慧(ちえ)

 
10年以上前のあるとき、老僧を訪ねて一対一でお話をうかがいました。
大事な話は一対一とは良く言ったものです。
 
「この寺を建てた方法を教えてあげよう。托鉢だけで建てた。檀家から一文も集めなんだ。古いし相当痛んでおったので。建て直そうと思たら、もう建っておった。時のたつのは速いものや。無常迅速ということや。変わるわ変わるわ」

老師は、静かにご自坊を建てた資金の調達方法について話し始めました。
 
「托鉢にも色々ある。あんたは若いから知らんやろうけど、日本国中が相手や。人はなんぼでも居よる。わしの場合は、時代が時代やから葉書を書いて出した。返事があった方には手紙を差し上げた。それだけや」
 
「手紙の中身は、内容はどのようなことを・・・」
 
「あほやな、そんなもの教えられるかいな。自分で自分のことを書くのや」
 
「自分のことを、ですか」
 
「自分のことしか書けんやろ。仏法の小難しいことを書いてもあかんし第一伝わらん。自分が読んで、泣けて泣けて仕方ないことを書くんや。本当のことをな」
 
「そんな感動的なことは今まで無かったもので・・・」
 
「だれが感動させろ言うた。お涙頂戴の小説やないで。あんた、それでも修行しとるんかいな。泣いて泣いて泣いて、泣きつかれるぐらい修行したら、はじめてわかるもんや」
 
「修行が足りませんか?」
 
「修行が足らんというのは修行しとらん者の科白や。修行は重ねるものや。死ぬまで修行の連続やないか。高祖さま(道元禅師)は修行がそのままさとり、修証一等とおっしゃった」
 
「老師、それはわたしも知っています。修証一如ですね」
 
「知識が歩いとるような耳学問の仏教好きでは、在家はともかく坊主は勤まらんぞ」
 
「おはずかしい限りです」
 
「はずかしいと少しでも思うのなら、お釈迦様の生涯を合掌して想い浮かべることや。お悟りを開かれた35歳から80歳までの45年間何をされていたのか」
 
「ひとびとの教化きょうけというか・・・あのー・・・布教ですか」
 
「そうじゃない。そうやって頭で考えるからわからんようになる。
修行を続けておられたのや。坐禅・托鉢、行住坐臥すべてが修行。坐禅托鉢、坐禅托鉢」
 
「今でいうお経の中身をお話しされていたのではないのですか」
 
「道で聞かれたことに答えただけじゃ。如是我聞というではないか」
 
「このように私は聞いたっていう、お経のはじまりの文句ですよね」
 
「皆、お釈迦様のお姿、すなわち姿勢、態度、歩き方や話され方に接して、これは仏陀に違いないと感じたし、出家在家を問わず弟子にしてくれと頼んだ」
 
「やはりわたしはお釈迦様のようには成れそうにありません」
 
「あほか。そこが大きな勘違い。だれがお釈迦様のようになれいうた。成れるわけなかろう。お釈迦さんの教えられた修行をするだけで、それはもう実際、そのままお釈迦様なんや」
 
「えええっ、意味がわかりません。修行するだけでお釈迦様って」
 
「お釈迦様の教えが、2500年続いているのは事実。あんたの修行している姿がお釈迦様のお姿でなくてどうする。教えは何のためにあるかといえば実行するためにある。時間と空間をこえて、教えを実行するものが私の弟子であるとまで仰せられた」
 
「あのー、その教えを実行するのが難しいんですが」
 
「今までや、これから、過去や未来を頭で考えるから実行できんと考えてしまう。まったなしの今を生きる。前後裁断(ぜんごさいだん)や」
 
「なるほどです。いまはじめてわかりましたが、その修行が一人ではなかなかできません。やはり無理ですね」
 
「修行の意味が理解できたらそれでよろしい。一人での修行が難しいのも事実。一人で修行できたら一人前どころか、まあいい。修行しやすくするにはどうしたらええと思う?」
 
「だれかと一緒なら、同じ道を歩むもの同士だったら修行できるかも、です」
 
「そうじゃな。それで僧堂というものがある。世界ではサンガという。四人以上の出家修行者の集まりを僧伽(サンガ)という。二人以上なら僧堂でよい」
 
「その僧堂を建てるというのは、ひとつの知恵ですかね」
 
「先人は、不離叢林ふりそうりんと言われた。一生修行の道場であるお寺を離れないという決意であり実行や。坐禅の修行は、一寸坐れば一寸の仏。仏の真似をしているようで本物の仏や」
 
「わたしにもお寺が建てられるような気がしてきました」
 
「人それぞれ、題目を上げるときは法華経と一つになる。お念仏をあげているときは阿弥陀さんと一体になる。坐禅ならお釈迦さんと一緒や。宗派だとか、お経の優劣とか、そんな余計なことを考えている場合ではない」
 
「ありがとうございます。なんだか自信が持てたような気がします」
 
「自分が本気でやっておれば、かならず助けて下さる方があらわれる。一所懸命ということや。続けてこその修行であり、それが佛道や。てくてく歩いて行きなはれ」
 
「仏道。かっこいいですね」
 
「佛という字は人が沸騰した姿や、佛の道は険しいがとても優しい。きっとお釈迦様は大変お優しい方だったと思うね。慈悲という言葉を聞くだけで涙がでる」
 
「わたしも涙の修行を重ねます。他人事ではない自分事として、やってみます。ほんとうに有難うございます」
 
「わしこそ有難う。若い頃の自分に出会ったような気がしたよ」


できるという確信

はじめて、やればできるという確信がもてました。
いや、確信とまではいかないかもしれませんが・・・。
 
とにかく、お寺を建てることにしました。
まずは土地探しからはじめました。
 
故郷のお寺に戻って、師匠に報告しました。
奈良のお寺を出ることになりました、と。
 
本当は、自分で自分のお寺を建てたかったんです。
檀家さんが居なくても、仲間と修行できるお寺が。
 
無二の親友に相談しました。
かれは無条件で賛成してくれました。
 
故郷近く、県境越しの山里に安い地面が見つかりました。
60坪程度の宅地、現況はまるで山林でした。
 
40年前の別荘地は荒れ果てており、まさしくジャングル状態でした。
チェーンソーを使って親友と二人で伐採を開始しました。
 
暑い夏でした。
のどがカラカラに乾いて、谷川で冷やしたペットボトルがすぐ空に。
 
谷川には沢蟹がいました。
水がきれいな場所は善い地面と聞き、ほんとうにありがたいと思いました。
 
整地のあとで、師匠が寺の役員様方を呼んで地鎮祭を行ってくれました。
裏山は一段高い杉の防風林、永平寺のお山を彷彿とさせます。
 
お寺で弁当をつくり、軽トラに乗って、友と二人で毎日通いました。
電気を引くための電柱を立てたり、コンクリートを皆で練って均したり。
杉の構造用合板とツーバイフォーの木材をホームセンターで買い、借りた大工道具とインパクト(ハンマードリル)が大活躍でした。
 
3ヶ月で山小屋(庫裡:住居)完成、
浄化槽は市の補助金で設置しました。
プロパンガスの湯沸し器、給排水工事は大好きな先輩がやってくれました。
お寺の檀家さんから中古のユニットバスや水洗便器まで戴きました。
電気工事は親友の近所の方がやってくれました。
総額しめて土地代ふくめ100万円以内で建ちました。
 
掘り抜き式のボーリングを行い、こんこんと湧き水が出ました。
汲み上げポンプを頂いたり、アルミサッシなどの建材も頂きました。
 
思い起こせば、数々のご浄財とお布施を頂きました。
多くの方々に既に大変お世話になっております(涙)
 
とりわけ坐禅会の仲間といっしょに土間のコンクリートを打ったときは、
強い幸せを感じました。おにぎりが喉につまるぐらい大変美味しかったです。
 
さあ、つぎはいよいよ観音堂という段取りになって、ついに冬到来。
積雪1m以上の中、内部造作中の山小屋(庫裡)にこもり沈思黙考。
 
「ここまでなら誰でもできる。暇人の自己満足じゃないか」
そうした否定的な数々の雑念や妄想が次々と浮かんでは消えました。
 
じつは屋根で作業しているとき脚立から落ちて背中を強く打ったのです。
親友が心配そうに沈痛湿布などの手厚い看護をしてくれました。
おかげで三日後には何とか立ち直りましたが、そのとき、ど真剣に考えました。素人が毎日のように日曜大工していたら今に大怪我するって。
 
餅は餅屋っていうじゃないかって。専門家に建ててもらおう、自分はお金を工面する、その方が断然効率的だと。
 
お正月に師寮寺(師匠が住職のお寺)の自分の部屋に籠りました。
疲れがドット出て、綿のように眠りました。
 
師匠が風邪薬や栄養ドリンクやおにぎりなどを黙って用意してくれました。
胸が熱くなり、頭の熱と体の震えと、涙が止まりませんでした。
 
いそがしい年末年始の手伝いを何もせずに大晦日と正月三が日が過ぎました。雪の中をマイクロサンガ(今の念水庵)にもどって、あらためて考えました。
 
やはり就職しようと決めました。
自分はやはり坊主には向いていない、在家でも仏教はできるではないか。
 
お金を貯めて、大工さんに小さなお堂を建ててもらおう。
その方がいい、気も楽だし義理も果たせる、自分にとって最善の道だと。
 
師匠も親友もみんな了解してくれました。
「出稼ぎに参ります。観音堂は必ず建てますから」という表向きの理由で。
 
そうして会社員に戻ったわたしは水を得た魚のようでした。
還俗(出家が在家に戻ること)を本気で考え初めていました。
 
♬~サラリーマンは~気楽な家業~ときたもんだ~(故植木等さんの歌)
ですが、実際はそう気楽なものではありません。真剣勝負の世界です。
 
ひとことで言えば、職業社会人は生産を行います。
お坊さんは原則、生産を行いません。

(生産した糧を寄進すればいい)


わたしが自信を取り戻せた最大の理由。
それは挫折であります。
 
ときおり挫折するから、人間は成長します。
花や木でも、障害があるからこそ、土の中から芽を出します。
 
風雪に耐え、たくましく育つ木々を観て、勇気をもらいます。
「初心忘るべからず」
 
忘れかけていた少年の夢。
それを思い出させてくれたのが「癌」でした。
 
身体は正直です。
お酒とたばこ、イライラ、不摂生がたたってか「喉頭癌」を患いました。

じつはわたし、今までに三度ガンにかかっています。

一度目は直腸癌、つぎに胆嚢、そして三度目が喉頭癌でした。
父が直腸、母が胆管、祖母が喉頭癌でそれぞれ亡くなっております。
 
名古屋の大学病院に通い、放射線治療を受けました。
ご先祖の徳でしょうか、いずれの癌も初期でありました。
 
早期発見が出来ていなければおそらく死亡していたと思います。
わたしは運がいい。わたしは治る。人は必ず死ぬ。だからこそ、今こそ。
 
病んではじめて覚悟ができました。
まことに有り難いことです。
 
この命を何に使えば善いのだろうか。
使命を貫く。
癌にかかったからこそ、この覚悟ができたと思います。
 
覚悟って「さとり・さとり」と書くんですね。
使命は「子供の頃からの夢」を実現することだ、と。
坐禅堂を建てたいという純粋な夢を実現させることだ、と。
このとき初めて得心したのです。
 
確信とは信ずることを確かめることではないか、と。
死を意識しだした年頃ですから、このことが自信をもっていえます。

まさにガンが背中を押してくれました。

この命 何に使おう 時鳥(ホトトギス)
参禅堂、建てるっきゃない。


参禅堂の完成予想図(3Dパース)

ご覧頂き誠に有難うございます。
実話だけにお恥ずかしい限りです。
念水庵 正道


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