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夢は「念」コミュニティ。

安般念あんぱんねんをご存知でしょうか?
アンパンマンではありません(笑)アンパンネンです。
パーリ語の「アーナーパーナ・サティ」の漢訳で、呼吸に意識を向ける瞑想法とされますが、日本語では「念息」とか「数息観すそくかん」と同義であります。短く「アパネン」と読まれることもあります。

安那般那念とは、仏教の瞑想の一種。安般念、安般守意、阿那波那、入出息念、出入息念、持息念、数息観などとも。 安那般那念は、狭義には文字通り、入出息を意識することで、意識を鎮静・集中させる止行の一種、ないしは導入的な一段階を意味するが、広義には、そこから身体の観察へと移行していき、四念処に相当する観行の領域も含む。 ウィキペディア

今日は、仏教の解説を離れて、少し私の夢を聞いて頂きたいと思います。


子どものころ「大人になったら何したい?」といった質問をされて、すかさず「坐禅堂を建てたい」と答えたことを覚えています。

「坐禅堂?」と大人たちは訝しげに、わたしの顔を覗き込みました。
「何で坐禅堂を建てるの?」と即ツッコミが入りました。

「お前らには、ぼくの気持ちはわからん」と生意気な口をたたきました。
偉そうですが、子供心に正直な気持ちでした。
大人たちは、プイと横を向いて、それっきりでした。

♬~それっきり、それっきり、もう、それっきりーですか~♬

大人になるにつれ、その子供心をすっかり忘れていきます。
ホントは忘れていないのですが、忘れたふりして自分をごまかしてました。

♬~忘れられないけど、忘れようわたしを~♬

歌の文句じゃありませんが(笑)歌にするとわかりやすいですね。
フレーズ通りで、忘れようと努力してたのですが、簡単に忘れられるものではありません。夢ってそんなものじゃないでしょうか?

仕事は、夢と正反対なものばかり選んだような気がしてます。
ですから何か問題があると、どこか「好きで選んだ道じゃない」という言い訳が心に生じるわけです。

だったら好きなことやればいいじゃん、と思われると思います。わたしだってそう思いましたが、世の中そう甘いもんじゃないってことぐらい、しっかりわかってましたから、家族のこととか考えれば、そんな夢を追いかけるようなことは、いや、断ち切ろうと、決め込んでおりました。

子どもたちがそれぞれ独立し、私生活での様々なゴタゴタ(割愛)が片付き、ついに念願だった坊主の道を進みながらも、やはり自分の夢というか、理想と現実はかなり違っていて、どんどん不満が溜まっていきました。

夢を実現するには、不満のマイナスエネルギーを使うのもアリかと思います。不満足だからこそ満足がいくまで努力できるという道理です。

こんなこと書くと、反論が沢山くるかもしれませんが、本音です。気にしません。よりよい作品を作りたいから、出来上がったものを気に入らなければ躊躇なく自分で壊すようなものです。

♬~わたしの夢を、あきらめないで~♬

我慢は、もともと「わがまま」の意味です。
我慢することは何もない。やりたいことをやろう。それが田舎に地面を買って「檀家さんのいない寺」を作ろうという動機⇒夢になりました。

まずは坐禅堂を建てます。(お陰様で、ただいま基礎工事中です)

この小さな坐禅堂を「参禅堂」と呼んでいます。
禅に参じる「お堂」なわけです。
念水庵の参禅堂。
目的は、ともに坐る。

夢は、田舎で仲間といっしょに「念」を続けていくことです。
いわば地域コミュニティです。
そうした「念コミュニティ」を小さいところから広めていきたい。
それがわたしの夢であり、小さな志であります。

拙句「アンパンネン 夢は田舎を 駆けまわる」
(芭蕉の辞世句のもじりです笑)

安般念(水)

今日もご覧頂き有難うございます。
念水庵

参禅堂のベースコンクリート打設終了(4/17)
今日4/18は立ち上がりコンクリートの型枠作業です。
夢は、かならず実現します。

参禅堂の基礎工事中(4/17撮影)

#夢を実現する #田舎コミュニティ  #坐禅堂





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