念・水・庵のこころ。
信じてることや親しい友人のこと、そして草の庵を結ぶ意味など、つれづれなるままにメモしておきます。
めっちゃ信じとる「ねん」
わたしにとって、もっとも大事なことは「今を生きる」という何を今さら的なシンプルな気持ちです。
念という字が大好きで、なぜかというと、今の心って書くじゃないすか?
念は仏教では「気づき」をあらわす「サティ」を漢訳したものらしいのですが、そんな学問的な話はさておき、単純に念という響きが気に入ってます。
訓読みすると「おもい」「おもう」とか「ねがい」「いのり」のように当てられることもあります。とにかく、やさしい感じがして好きなのと、なんか深いんですよ。
念ずれば花ひらく、って有名な言葉がありますが、あの心境です。念じることを体で表現すれば、少し頭を下げて目をつむる様子です。
NHK朝の連ドラ「ブギウギ」を7:30から欠かさず見てるんですが、毎日泣かされてます。あの時代もみんな一生懸命に生きていたのですが、とりわけ主人公が病床に伏す幼馴染をど真剣に励ます姿は、つよく刺さりました。
目をつむって俯きながら、涙をながして、無言でうったえる姿。
なんとか助けようと、全身全霊で語りかける姿勢。
もう、もらい泣きどころか大泣きしてしまいました。
「この子をこんなええ子に女手ひとつで育てたやんか!」
殺し文句とはこのことですね。
あれだけ頑なに拒んでいた心がふわっと溶けた瞬間でした。
脚本や演技もさることながら事実のチカラです。
笠置シズ子さんの常に今を生きた壮絶な生き方に感動がやみません。
「生き方でわかってもらうしかないんだ」
エノケンさんと思われる方の言葉が染みます。
親しい友人のこと
親友というと照れくさいのですが、彼はホントに良い人で彼から学ぶことが本当に多いのです。まるで水のような存在です。
わたしは「水」信者です。
なにも信仰的なそれではなく、水は、潔く立派だと思います。
たまに水くさいときもありますが^^
簡単にいえばあっさりしていて男らしい。
もともとは土木用語で「親水」という造語があります。
都市の河川など水との触れ合いの場などを指します。
文字通り「水と親しむ」という意味ですがそれだけに留まりません。
今や日本には数多くの親水公園があります。
なぜ人は水を求めるのでしょうか?
水に苦しみ、水におぼれ、水をおそれ、水を避けながらも。
水とあそび、水をつかい、水を楽しみ、水を取り入れています。
たった一滴の水が地球に水をもたらしたともいわれています。
小惑星探査機「はやぶさ」が、太陽のまわりを回る小惑星「イトカワ」にたどり着き、表面にある小さな粒を採取しました。 そして2010年6月、それを地球に持ち帰ってきました。 この微粒子は世界で初めて月以外の天体から持ち帰った物です。その中に水分がありました。
地球に小惑星等がぶつかって、そのなかに微量の水があって、それが地球の海・水のもとになったとされる見解があります。地球に水が存在していなければ生物、ましてや人間は生まれてこなかったわけですから、宇宙における最も貴重なものは水といえるでしょう。
わたしにとって一番大切なものは「友」です。
家族・親類・知人以上に、大切な「人」です。
かわいた喉を一番やさしく潤してくれる存在「水」。
湯船につかって一番やすらぐ一時をあたえてくれるのも水です。
草の庵(いおり)をむすぶ
滋賀県のマキノ町の山麓に山小屋があります。
友人と二人でつくったハンドメイドの小屋です。
針葉樹の構造用合板とツーバイフォー用の木材で作りました。
当時一枚千円ぐらいだった合板が今は2千円もするそうです。
もとは別荘地でしたが、二人で見に行ったときはジャングルでした。
チェンソーで毎日のように雑木を切り倒し、片付け、燃やし、真夏の太陽が容赦なく照りつける中、地面に湧き出している沢水をガブ飲みしました。
とても冷たく美味しくたくさん頂きました。
沢ガニがあるき、樹の実がとれ、のどかで光あふれ、新天地をいただいた私たちは、ここを「基地」とよびました。
こどもの頃に友達同士であそんだ、あの感覚です。
この話をはじめると長いので、この辺にします。
草のいおり。良い響きです。
庵をむすぶ。俗世間を離れた隠遁者の居場所でそこに暮らすことをいいますが、そんな大げさな話ではなく、今は二拠点生活のひとつで別荘ですが、いずれはここに帰る予定でおります。
今日のまとめ
念水庵の名称の由来というか思いを書きました。
なぜ今頃になってと思われるかもしれません。
じつはそろそろnoteはじめて一ヶ月経とうとしてるからです。
最初、毎日書くとは思っていませんでした。
やりはじめると、なかなかやめられないのが習慣です。
かっぱえびせん(なつかしい)のようなものです。
今日の一言はもちろん。。。
今日もご覧いただきありがとうございます。
念水庵