見出し画像

住めば都で賢く生きる|ベランダの思い出

僕は夏になるとよくベランダでビールを飲んでゆっくりします。冬でも寒ささえ凌げればベランダに出ています。

大した景色が拡がっているわけではありませんが、年間を通して暮らしている場所なので、大したことのない景色もだんだんと愛おしく思ってくるものです。

自宅から見える景色と言えば、メディアで紹介されるようなタワマンから望む夜景や海が見える別荘のような景色に人は憧れると思います。

僕ももちろんそういった景色に憧れはしますが、毎週の様に眺める場所にそこまでの絶景を求める必要があるかと言うと、そうでもないと感じています。

先日まで住んでいた大阪の自宅ベランダから見えたのは、JR京都線とその先に広がる住宅街でした。

その前に住んでいた東京の自宅ベランダからは、自宅前の道路と住宅だけが見えていました。この時は一階に住んでいたのでそもそも景色言えるのか微妙かもしれません。

それでも、それらの景色に僕は強烈な愛着を持っています。

コロナ渦で退屈していた頃には東京にいましたが、一日中ずっと本を読み続け、頭が回らなくなってきた頃にベランダに出てゆっくりすることで、読んだ本と自分の人生を振り返っていました。

大阪のベランダでも京都と大阪間を行き来するJR京都線に乗る人々を眺めながら、自分の生活と世の中のことを考えて過ごしていました。

また、どちらも、仕事でしんどい気持ちになった時は、外界から遮断されたスポットの様な役割をベランダが果たし、リフレッシュのきっかけにもなっていたことを強く覚えています。

こういった日常的な暮らしに根付く場所は、何の変哲もないシンプルな景色で充分なように思います。

毎日のように高級フレンチや懐石料理を食べたいかと言うと、そんなことはなく、庶民的な食事を摂っている人がほとんどだと思います。旅行先や記念日など、特別な日にこそ豪勢な食事を楽しみたいものです。

住宅や景色もそれと同じで、もともとプレミアムな価値がなくとも、日々の生活の苦楽をその場所で過ごすのであれば、そこは紛れもない「住めば都」に変貌していきます。

食事と酒をこよなく愛した作家の内田百閒は『御馳走帖』という本のなかで、食事も酒も贅を尽くせばいい訳でなく、「いつもの味であること」が大切といったことを書いています。

それは住まいや景色に関しても、全く同じことが言えます。

「いつもの景色」に愛着を見出すことで、豪勢な暮らしからは距離を置くことができるようになります。これは同時に賢く生きることでもあります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?