【5球目】リーマンショック!!
2008年、入社から3年が経過していました。
お客様は過去最高の生産台数を製造する、とても忙しい環境の中で、毎日が忙しく充実した日々を過ごしていました。
「こんな日が続くかもしれない」という幻想を抱きながら。
2008年9月にリーマンブラザースが破綻。
当初は、日本への影響は限定的みたいなニュースを読んだ記憶があります。年末が近づくにつれて、様々な所に影響が。
派遣切りとか年越し派遣村とか報道でやっていましたね。
私たちも2008年の年末くらいから、少しずつ周りの雲行きが怪しくなってきました。
お客様からも減産の話が舞い込んできます。
それでも2008年中はそれなりに忙しく、その惰性が年度末である2009年3月まで続いた感じです。
多くの企業の期が変わる4月以降。
昨年の生産台数と比較すると、半分以下の計画です。
『これはまずいな』
本気でそう思いだしたのは、2009年に入ってからです。
仕事量がドンドン落ちていく。
電話がかかってくるのは
台数が減ることか、
人を引き上げてくれの、どちらか。
今までの好調は一気に去っていき、目の前が真っ暗になったような錯覚に陥りました。
今まで絶対的な存在であった川崎重工。
「この台数以下にはなることはない」と言われていた数字を軽く割り込み、仕事量が全然ありません。
当然、新しい仕事なんかが入ってくるわけでもなく、来る日も来る日もマイナスの話ばかりしていました。
経営者として大きな後悔
このリーマンショック時に大きな後悔があります。
反省はしても後悔をするタイプではないのですが、この時の後悔は今でも残っています。
リーマンショックの影響を受けて仕事量がドンドン減っていっている中で、多くの人が会社を去っていきました。
自分の都合で去った人もいれば、会社都合で辞めてもらった人もいます。
後悔はここです。
会社都合で辞めてもらったこと。
当時、製造業において、
「リーマンショックの暗いトンネルはいつまで続くか分からない」
そう言われていました。
1年? 3年? 5年?
全く分からない状況でした。
多くの金融機関もダメージを受けている状況で、先が見えない。
そんな恐怖もあり、会社都合で辞めてもらう選択をしました。
なぜ、復活するまで休業の提案ができなかったのか
今でも後悔しています。
だからこそ、このコロナ禍においては、会社都合で辞めてもらう選択は一切取りませんでした。
12年前、私がもっともっと強くて先を見る力があれば、
社員に嫌な想いをさせずに済んだのに
と考えると、今でも胸が痛くなります。
覚醒
同時に、強烈に思ったことがあります。
このままではあかん
2009年の三陽工業の決算は718百万円。
前年対比でマイナス40%です。
そりゃ、このままではあかんという気持ちにもなりますよね。
何がこのままではダメのか、考えてみたんです。
辿り着いた答えは、
・特定のお客様に依存している状態では強くなれない
・強くないと社員を守れない
ということでした。
強くなろう!!
強烈にそう思いました。そして動き出します。
始動
元々三陽工業に入ってきた時のミッションは、次の柱となるお客様を見つけ出すことでした。この業界の新規営業の手法は、前職で学んでいます。
1人で動き出してもいいものの、その時になぜか、本当になぜそう考えたのか、今でも不思議なんですが、
1人でやるより誰かと一緒にやる方がいい
と思ったんです。なぜそう思ったのか?
分かりません(笑)
でも、1人でやるより誰かと一緒にやった方がきっと楽しいでしょうし、仲間がいた方が、辛い事にもより立ち向かうことができる。
そう思っていたならいんですが、本当になぜそう考えたのか、確固たるものはなく、でも1人でやるより誰かと一緒にやる方がいいと考えたんです。
直感ですかね。
運命の再開?
そう思っているときに、たまたま前職の社長(オーナーではありません)とお酒を飲む機会がありました。
たぶん、いろんなアンテナを立てていたからでしょう。
前の会社を辞めてから、一緒に飲むのは初めてでした。
前の会社は名古屋が本社でしたが、その人もその会社を辞めて福岡が本社の会社で働いていました。
裏口入社した前の会社で、私の父親と懇意だった人です。
週末、名古屋で飲んでいました。
(その人は単身赴任で福岡へ行っていて、名古屋に家があったので)飲みながら楽しい時間を過ごしました。
そして、そのまま明石に帰ってきて翌週、仕事をしながら、考えたんです。
あの人と一緒に始めよう
これは完全に直感です。
考えてみてください。オーナーではないとはいえ、前の会社の社長です。
私は裏口入社の一般社員。
凄く仲良くしていたかというと、そうでもない。
誘っても断られる可能性もある。
断られたらその時考えればいい。まずは話をしてみよう。
そして、その人と連絡をとり、週末に福岡へ飛びます。
ですが、当時の社長にもこれを伝えないといけない。
始めて社長に対して『相談』ではなく『報告』をしました。
今までであれば、
あの〇〇さんと一緒に新しい動きを始めようと考えていますが、どう思いますか?
と聞いていたと思います。ただ、今回は、
〇〇さんと一緒に新しい動きを始めます。よろしくお願いします。
と伝えました。
中学校2年生の時に、野球部のキャプテンに指名されて以来の覚醒した瞬間です。
それから相談事は減りました。
自分で考えて決める習慣がつきました。
そしてそれは今でも当然役に立っています。
明日は、福岡でのお話です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!