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「集団のチカラ」

第14回定例勉強会レポート

対面での集合研修がむずかしい現状を鑑み、2020年6月5日金曜日のさんやまち定例勉強会は初のWeb開催でした。

Web上で集団についての議論は交わせても、Web上での集団は成り立つのか!?今回、我らが川口先生をナビゲーターにお迎えし、さんやまち初のWeb勉強会(集うと避難されるかも、なんて想像したこともありませんでした(- -;)。)、記録しよう!とチャットに必死に入力するも、途中聞き入って記録を忘れる場面も数回あったけど、できるだけ記録。
それを参考に、ご報告です(^^)

一堂に会しての勉強会と、Webでの勉強会の違い。

一堂に会して勉強会をする時。「集まっている」けど、注目するのは発言者に対してのみ。
でも、Webだと一斉にみんなの顔が見える。
しかも自分の顔も(セルフビューを消すと話しやすくなりました(^^))。
顔は見えるけど、身振り手振りのような非言語的コミュニケーションは見えない。

最近はマスク着用で、口元も見えないことが多い(Webのおかげで久しぶりに会話している口が見えました(^^;)。
目で伝えようと頑張るけど、全体的に会話自体が減ってるような…。

まずは川口先生からの問いかけ。
「今、何したい?」
海水浴、旅行、カラオケ、生ビール…。
ここには、会話、ふれあい、楽しみ、といった、今足りないことを補いたい気持ちが詰まっていました。
友達との何気ない共感、その中に「自己」と「安心」を、無意識のうちに感じていたようです。

「なぜ人は群れるのか?」

「人は自分と似通った仲間を求めてる」という前提の元、「なぜ人は群れるのか?」を改めて考えてみました。
・ソーシャルディスタンスを保ちつつ、集団の代替的補完ができないか?
・アクションを起こした相手にリアクションを戻す工夫をすれば、代替的補完ができるのではないか?
そして「集団」で得られることを整理しました。
「仲間が得られる」
「受け入れられる」
「認められる」
「役に立てる」
「自分を確認できる」
「モデル(お手本)が得られる」
「一人でできないことができる」

ある施設でのお話。
「利用者様が作ったマスクを他の利用者に配布した」
「子どもさんが作った作品を壁飾りにしている」
これらに対して、感謝や称賛などのリアクションを直接のふれあいで見せられない。
でも。
「直接会えなくても、そのリアクションを利用者に見える形でフィードバックしてもらうといいね!」
「子どもたちが作った作品に「いいね!」マークつけたら!?」
直接リアクションできなくても、文字や絵やものを介して、感謝や思いを伝える。そうやって「つながりの場」を設けることで、「誰かに認められ、役に立ち、一人ではない」という、とても大切なことを実感できる。
「ありがとう」や「素敵だね」が嬉しい、ということを改めて感じ、そこに尊重された自分を感じることができる。

「集団」を利用していたのはなぜか?

手段として利用していた「集団」の目的はなにか?
この要素を個別に落としていくことで、「集まらないから楽しくない」の回避につなげることができるのではないか?

私たちは「集団」の中に「自己」も求めていたようです。
「集団」をすることが目的ではなく、問題解決のために集団という「道具」が必要。自己に気づき、受け入れ、新しい可能性に気づくために。
新たな日常(そうなるのでしょうか?(^^;)を経験する中で、「人が群れる」ことの意味を再確認しました。
その意味を知ることで手段を代替的に補完できる、新しい「集団」を思い描く。そんなことを感じ、考えさせられる会でした(^^)

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