私の平成を振り返る②平成11〜20年
香川の高校生時代から、大学で関西に出てきて、就職するまで。
平成11年:高校1年。あまりクラスになじめない。
放送部に入部。真面目、地味。
平成12年:放送部でラジオ番組制作をするのに燃える。
自分で企画して、台本書いて、形にするのがおもしろかった。
NHK杯で全国大会に連れてってもらい、東京へ。
原宿ラフォーレのセールに心奪われる。
(このとき買った財布は今も旅行用で健在)
県の国際交流事業で、オーストラリアに派遣してもらう。
異文化のおもしろさに目覚める。
平成13年:大学受験。関西の「国際」系の学部を探して、神戸へ。
田舎ゆえ、イケてる予備校が近くにあるわけもなく、
スカイパーフェクTVで、VHSに録画したのを見て勉強。
代ゼミの一流講師陣に惚れる。
都会との情報格差を知り、「都会、ずるい!!」と思い始めた
のはこのころから。今でも、東京メリットを使い倒したい、地
方に情報を届けたい、という思いが強いのは、これが原体験。
平成14年:神戸大学入学。一人暮らし。
放送委員会に入るも、あまり合わなくて1年でやめる。
国際交流サークルに入る。
家庭教師、初日で「もうこなくていいよ」と言われる。
日本料理店でバイトするけど、トロいので、評価されない。
これを仕事にするのはやめよう、と思う。
平成15年:国際交流サークル、存続の危機で、新歓をめっちゃがんばる。
部員が増えて楽しくなる。
留学をするか迷う。ニュージーランド2週間の語学研修で、悪
夢にうなされ、私は日本に住みたいと思い、留学はしないこと
にする。
平成16年:ゼミ開始。ジェンダーを学びたいと思いつつ、卒論ジェンダー
論は、就活で不利(面倒なやつだと思われる)だと親からの反
対があり断念。表向きのゼミは当たり障りのないところに所属
しつつ、裏でやりたいことできそうなゼミに潜る。
貧困・フェミニズム・環境問題・・・骨太な課題図書に必死。
頭のいい先輩についていけないと思いながらも参加。
就活。下手な鉄砲、数打って当てる作戦。
公務員試験の勉強を大原でしながら、就活。
途中で「だって民間企業で働きたいんだもん」と自分の腹から
声が聞こえて、公務員路線はやめる。
平成17年:通信企業に内定。
夏休み、オーストラリアにインターンシップで1ヶ月。
卒論は、「多様な働き方が可能な社会の実現に向けて」
オランダのワークシェアリングを研究。
卒論を出して、友達3人とピアスを開けに行く。
平成18年:入社。
コールセンター、販売店、お客様接点部門。楽しかった。
平成19年:奈良支店で営業。営業車をぶつけて、始末書。
平成20年:奈良市店で営業。販売コンテストや接遇研修を自由に企画させ
てもらえて、水を得たようにぴちぴちしていた。
つづく
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