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『断片的なものの社会学』を読む。

京都に帰省中、大学時代によく行っていた本屋に行った。
その本屋は喫茶店も併設していて、喫煙席もあるのでよく作業をしに利用していた。
そこで岸政彦さんの『断片的なものの社会学』を買う。もともとは違う本を探していて、目的の本が無くてどうしようかと思っていたら、ふと目に入ったこの本のタイトルに惹かれて買ってしまった。

著者である社会学者の岸政彦さんは、ある歴史的な出来事を体験した当事者個人の生活史の語りをひとりづつ聞き取るというスタイルで研究をしていて、この本はそんな聞き取りや、自ら体験した出来事を書いている。

僕はあまり本を読むのが早くないのだけど、この本は3日くらいで読んでしまった。(大体一冊に一ヶ月以上かかるので、僕にとってはめっちゃ早い)ページをめくるたび、読み終わるのが悲しくなってしまうような本だった。

普段生活をしていて漠然と感じている不安や、他者に対して思うどうしようもないやるせなさのようなものが、この本を読んで随分と軽くなったような気がする。この本は、こうするべき。これはしてはいけない。という答えは言わない。ただひたすらに、岸さんも僕と同じように悩んで、戸惑っている。

決して先頭に立って僕らを導かず、まるで僕の隣で、一緒に悩み苦しんでくれるような気持ちにさせてくれる。こうすればいいと手を引かれるより、どうしようと一緒に悩んでくれる人が隣にいるのは時に救いになると思う。僕は孤独ではないんだと、少し希望を抱けた気がした。

聞き取りをした人の語りの内容や、岸さん自身の体験も面白い。壮絶な人生だなー。と思う人も出てくるけど、その人自身は普通の人で、普通に生きている人。断片的な語りだけが書かれていて、その後どうなったか、生きているのか死んでいるのかも分からない。そんな人達の断片に触れて、今はどうしているのかと想像してしまう。たとえ死んでしまっていたとしても、幸せに暮らしていてほしい。そう思うのは勝手すぎるだろうか?

大冒険ではない、飾り気のないありふれたそれぞれの生活の断片。僕が普段見落としているだけで、この世界は美しくて、きらめくような一瞬に満ちているんだなと、本を読む、映画を観るたびにいつも思う。

読み終わった後、本棚(と言っても押入れを本棚に改造したもどきみたいなもん)に入れるのがなんか寂しくて、しばらく枕元に置いている。


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