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サヌカイトとの旅

8月下旬のエジンバラの夜は、厚手のジャケットが欲しいほど寒かった。中世のたたずまいを残した教会の中で、ツトム・ヤマシタの演奏が、石造りの壁に反響しながら続いていた。演奏が終わったとき聴衆は拍手と床を踏み鳴らしてアンコールを続けた。世界各国から選ばれたアーティストとともに、サヌカイト楽器が初めて体験する世界の檜舞台であった。サヌカイトは、その後もベルリン音楽祭、ヒューストン音楽祭・バチカンの教会・ストーンヘンジ・中華民国音楽庁での演奏等々を続け、1993年からはアメリカのライオネル・ハンプトンジャズフェスティバルでのコンサートなど、世界中を旅した。

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 音楽とは無縁で音符など全く無知であった私は、1979年1月1日四国新聞のサヌカイト石器の特集を読み、私の住む金山がその産地であったことを知った。太古の日本列島に住んでいた人たちが、金山で作った石器で生活し、狩猟や自分の命を守る武器として、人と深く関わってきた歴史を思いながら、この石をもう一度工夫してみよう。こんな思いから石の楽器作りが始まった。

 この音の再生を手がけて以来、音響工学の専門家や音楽家がしばしば金山を訪れ、カンカン石は不思議とも思えるほど、多くの人との出会いを生み、学術的な助言を受けながら、サヌカイト楽器が誕生した。 以前、新宿の百貨店でサヌカイトの音を披露したとき、両親が付き添った車椅子の少年に「本当にいい音でしょう」と何度も話しかける母親がいた。無表情に近い顔を向けた少年に、父親がまた石をたたいて音を聞かせていた。この事が縁でいくつかの施設に石の楽器を送ることになった。人との関わり合いが、よみがえった石の喜びの声を聞くようであります。「人・心・物、大いなる手のひらの上に、えにしの糸が織りなす不思議な出会い、いつまでも大切に」と、喝を入れられながらサヌカイトとともに旅をしています。

前田 仁(故人)

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 1987年2月フランクフルト楽器博覧会にサヌカイト楽器を展示するため私は初めてドイツの地を踏んだ。前田仁のサヌカイト楽器にとっても初の海外でのお披露目。1オクターブのSOUと2オクターブのKINを別便で送ってあった私は、フランクフルト空港にある受取所にタクシーを拾って向かった。簡単に受け取れると思っていたが楽器と判るとなんだかんだと渡してくれない。数年前に高価な楽器を没収された報道があったが、ドイツは楽器に敏感だ。たらいまわしで2時間半やっと受け取ることが出来た。ひどい話の様でもこれが現実。

 フランクフルト楽器博覧会は世界一と言われているだけに世界中の楽器を見ることが出来て、楽器作りの参考になった。(残念ながら石の楽器は他になかった)1週間の展示中多くの人が試して喜んでくれ、買いたいという人もいたが、売り物ではない。旅としてはライン川を各駅停車の電車に乗り好きなところで降りて散策したり、壁の在ったベルリンで東ベルリンをバスで巡ったり(数日前に壁を越えようとして射殺された人がいた)、フランクフルトではコンサートにも。

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 2005年5月6月サヌカイトはツトム・ヤマシタと共にアイスランドとパリでコンサートを開催。準備期間11か月。開催に尽力してくださった駐日アイスランド大使ご夫妻とは親しくなって高松でのコンサートにも来てくださった。パリはシャトレイという古い大きな劇場で開催したのだが、劇場と打ち合わせを始めたとたん70日間バケーションで担当がどこかに出かけてしまうというさすがフランスで、今ほどネットが発達していないので制作に苦労したが、それも思い出。最大の汚点は、アイスランドに送った楽器が多数割れてしまったこと。某大手運送会社がパリでの積み替え指示を怠ったため、勉強というにはつらい事だった。現地でもバタバタだったので私は泊りは独り別を取って(サンジェルマン・デプレ)、毎晩11時頃戻るとホテル横の有名なジャズライブレストランで5日連続酒を呑んだ。3日目からは店員にこっちに来いあっちに行けと優しくされたのが唯一の幸せ。

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 2015年9月台北孔子廟。1990年寄贈した「編磬」を25年ぶりに再び寄贈。実際使ってくれていたため割れたり欠けたりしていたのですべて交換することになったからである。使われた編磬は故郷に戻って今はけいの里の展示室に収めている。前田仁が接見した孔子の直系は第77世だったが私は第79世と面談。親子2代の台湾と日本の友好に寄与したとして私は台北市の名誉市民の称号が馬総統臨席の元、台北市長から与えられた。この時約束した台北で再びコンサートを開催する約束がまだ残っている。

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 サヌカイトとの旅は、まだまだ続く。海外だけでなく日本でも多くの方に喜んでもらえるような旅をサヌカイトは望んでいるはずだ。世界中のどこにもなく誰も聴いたことがない音がするこの音を届けることは私の使命であるが、その音に磨きをかけることがいま一番の望みです。

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