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メモ 再就職の50代男性とは

なんという暗い写真でしょうか。画像ソフトで加工してみましたが加工は愉しいですねえ。
さて今回は「職場解散ーハローワークー職業訓練校ー再就職」という過程を経て気になったことの経験などをメモにまとめておこうという記事です。個人の経験なのではたして他の50代男性に役にたつのか?>立つかどうかなど分かるわけがありませんが、まあ別にいいです。

・職場解散
ある日職場が「利益が出ない(赤字)なのでクローズする」とのことでハローワークに離職票をもっていった(会社都合退職)。

・職業訓練校
なかなかすぐに職が決まらない(落ちる)ので、50代男性はいっそ1年かかる職業訓練校にいって資格を取ることにした。ハローワークの職員からは「望んだからといってすぐに入れるものではない」と言われ、先ずはその資格や業界がどういうものかを勉強してこいと言われた。調べてから再度ハロワにいき、やっと職業訓練校を受験する手続きに入った。
受験でも面接で「資格を得たからといって50代男性初心者では就職がかなわないこともある」と言われ、それでも大丈夫かと言われたので、「それならば前職で使っていた資格で仕事するしかない」と回答し、訓練校に入れることとなった(まあ別にいわゆる覚悟を試されただけだと思いますが)。

・就職活動
訓練校で電気工事士の過程に入ったものの、これを仕事として、たとえば工業高校を出て威勢のいい若いのと同じ条件で働くことや技術を高めるのは無理があると気づく(そうだろう)。しかし資格は資格であり、電気工事士はいわゆる建設業やその関連の広い分野に関係していることにもまた学びを得る。
考えて調べた結果として、消防設備関連や設備保守関連や危険物関連やボイラー関連などの周辺分野に目がいく。
大きい意味で、建築や設備をつくるのではなく、できているものを保守点検する系統の業務であれば体力や手先の技術はそれほど大きく問われないのではないかという予想をたてる。
いわゆるビルメンである。
給与水準は安く職場環境は別にいいとはいえないが、それでも完全屋外業務ではないという点が気にいった(訓練校で秋冬を過ごしていると実習室でさえも寒さが身にしみて50代ともなるといくら厚着をしても限度があり、この上雨や雪などがあるともういやんという気持ちになってしまうなあと思ったのである)。
ビルメンは資格がものを言うというネット情報をまにうけて、消防設備士・ボイラー2級などを受験して免状をゲットする。
その流れで就職活動して、なんとか正社員としてもぐりこむことに成功。

・就職後
まだ1ヶ月も経っていないので何かを言えるポジションではない。
しかしわかったことはいくつかあって
「現代のビルメンは、とくに顧客のたくさんいる施設においては、
・設備が近代化していく途中のまだら模様
・顧客の要求は無駄にエスカレーション
・省エネルギーとかSDG’sとか環境関連の要求がうるさい」
という無理ゲーめいた面が目につくのであった。

今後またわかったことがあれば書いていきたい。

・就職活動や他の人をみていての感想
50代男性は、わかっていたが、やはり社会からみて「いらない」と言われるような人間である。それはかれが、若いころから経験やキャリアを積んでいて、職場なるところでポジションをもっていたり、あるいは自営とか個人事業(同じです)で稼いでいて文句を言わせない実力があれば別だが、ポジションも実力もなくて、徒手空拳でやる気だけはありますと言ってそれが社会から受け入れられるのは若い奴だけなのである。
というのは訓練校の同級生におなじようなおっさん~初老世代もたくさんいたのだが、皆が就職活動に苦戦しており、いくら資格をとったところでその業務の経験年数は無く、そういう人を一から指導してくれる余裕のある職場など今の日本にはなかなか無いからである。のではないか。仮説である。

ではなぜ私は正社員になれたのか。まあたぶんこの先長く勤めたいという希望を表明して、かつ、その職場が「初老~高齢者がたくさん働いているセクション」だったからではないか。つまり初心者であるがたぶん経験次第でその業務をやらせられるくらいには業務が「困難・過重」ではない、ということだと思う。だから給与も安い。

こんなことを書いていて1週間後に辞職しているかもしれないのでそうなった場合にはこの記事は記念として残るだろう。今回ははてなアノニマス
ダイアリーを意識して書いてみました。
とにかく50代男性はハロワでも「もうなんでもいいです」と言うと介護職か物流かなにしろ夜間休日関係なくかつ安い給料で離職率の高いような、やたらと毎週ハロワの「新着求人」に載ってるようなやつしかないわけですよ。そっちの道もあったわけですが。あったわけですが介護職も物流ももう経験したのでいいです。

あと追加として「50代男性は社会からみていらないと言われる」件ですが、もちろん本質としてすべて人間は社会の一員であって、誰も誰もに向かっていらないという資格などないわけですが、それでも「経済を最優先する・落ちこぼれたやつは切り捨てていく・現実として金と権力と美貌と若さがこの世のよいものであってそれ以外の内面などは社会において価値はない」と言い切る系統のやつらがこの日本社会の主流であるので、現実として「いらない」と言われることは現象として存在しており、存在していることをなかったことにはできないということです。異議ある方もいるでしょうが、私も異議を唱えたいですが、いまの日本ということでそのような書き方にしました。悪しからず。


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