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おもいではいつもキレイだけどそれだけじゃおなかがすくとかなんとか

成就した恋ほど語るに値しないものはない。

森見登美彦『四畳半神話大系』



三都日曜と申します。
紙とペン、文字と珈琲、街と道が好きなオタクです。
あとアイドルマスターが好きです。

結婚しました。

改めて語るほどのエピソードはないけど、それでも人生の大きな出来事なのは確かなわけで。せっかくだし、今綴れることは何であれ残しておくのもいいかもしれないと思い、たいして更新もせず半ば放ったままだったnoteを久々に起動させるに至っています。

以下、ただの自分語りです。


そもそも僕という迷走の民がいて


それにしても結婚とは。人生はわからない。

「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」という稀代の名コピーがゼクシィのCMで謳われたのが2017年。人の生き方は昔より幾らか多様に、幾らか自由になったのかもしれないし、まだまだそうでないかもしれない。

僕個人はずっと、結婚を「世の中に存在すること」だけど「対岸の祝い事」のような捉え方をして生きてきた。友人知人の結婚話は素直に喜んできたしお祝いもしてきた。だけど自分がその当事者になるイメージみたいなものはなくて。それは別に結婚の否定とかじゃなくて、なんとなく僕は縁がなさそうというか、僕はそういうのと違う人生を歩んでいくんじゃないかなという思いが学生時代からぼんやりとあって。ムーミン谷で一年を過ごすムーミンたちと違い、冬に離れ春にまた現れるスナフキンのような。あるいはそのスナフキンにあこがれるティーティーウーのような。いろんな姿がそれぞれにあるように、きっとどこにだって人の生き方があるだろう、みたいな。

(余談だけど荒川ケンタウロスの『ティーティーウー』は名曲なのでみんな聴いてほしい)

是非はともかく「そういう自分がいていい」「そういう生き方だってあっていい」と思っていられるだけ、現代は自分にとってありがたい時代なんだろうと考えていた。将来像みたいなものはずっと抱けなかったけど、そういうものかなと。

東京で薄給激務の仕事を数年やって。
際限のない労働時間と人間関係のストレスからか、ある時期を境に、だんだんつまらないミスや不可解な行動が増えるようになっていった。

● 今まで見落とさなかったものを見落とし始めた
(書類の誤字脱字チェックが意味をなさなくなる)
● 報告したかしていないかの記憶が曖昧になった
(メールの発信履歴を何度も辿る日々)
● 鞄を持たずに手ぶらで出社しそうになった
(駅で気づいて戻った)
● 声のボリュームがうまくつかなくなった
(話し出しのトーンが大声になったり小声になったり)
● 忘れ物が増えた
(影響が軽微なモノに関してはずっと忘れ続けた)
● 目の前の棚に差した書類をずっと探していた
(視界の片隅には入っている) etc.

覚えている範囲でこれだから、たぶんもっとやらかしている

「そろそろ無理だな」と感じて、本格的に病んでしまう前に逃げるように会社をあとにした二十代半ば。退職届が受理されたあと、ふらふらと歩いた新宿の街並みは、不思議と心に沁みたのを覚えている。何の変哲もないドトールのコーヒーがうまかった。

目標を失って何もかもリセット。
旅でもしようかな、と思ったのは高田馬場かどこかのニューヨーカーズカフェでコーヒーを飲んでいたときだった。
(なぜそこにいたのかは覚えていない。たぶん彷徨って行き着いたんだと思う。退職してしばらく、山手線まわりの街をあてもなく徘徊していたから)

大学の頃に教えてもらったスペインの巡礼路のことをふと思い出した。
今しかできない体験をと思い、リュックひとつ背負って海外へ行くことに決めた。

旅の理由はなんとでも後付けでカッコよく語れるけど、当時の自分がその決断に至ったのは、
「どうせ今の自分には何もないから」
というのが正直なところだったと思う。

イベリア半島の北の大地を東の端から西の端まで一ヶ月かけて歩く体験をした。幾つもの都市を、漠々たる荒野を、乾いた大地を、1000mを越す山々を踏破し、大聖堂で祝福を受けて。道中さまざまな人と出会い交流し、言葉を交わし、飯を食い、酒を飲む。歩き、歩き、考え、悩み、歩く。それはそれは本当に貴重な、何にも変え難い経験をできたのかなと。

生きていい。ユーラシア大陸の端っこで、そう言ってもらえたような気がしたのを覚えている。

神も仏も興味はないけど、運命くらいは信じていいかもしれない。

『コトパクシ』冒頭より

決してそこまで信仰が厚いとは言い難い僕にも、道や都市や人々が、生きる根幹を教えてくれた。そんな気がする。思い込みといえばそうかもしれないけど。何はともあれ、今でもこの時の思い出は、僕の宝物である。


まあそうは言っても、そこから急に人生が好転したりはしないんだけど


旅を終えて日本に帰って。
人生のターニングポイントを経て、ここから変わっていく自分……みたいな、そんなお話のように転換するほど現実は綺麗ではなくて。

お金もないしキャリアも中途半端に投げ捨ててしまった僕は、フリーターとして食い繋ぎながら再就職を地道に図っていく生活になる。
当たり前といえばそうなんだけど。思いだけでそう簡単に凡人が栄光の階段を登ってたまるか。それならその間も苦心惨憺しながら走っていた人々の立場がないってもんで。それはわかる。
何はともあれ、結局そんなに冴えない自分がそこにいたというのが現実。

それでも、無闇に自分を否定をして生きる必要もないぞということだけは、思っていた。

何年か燻ったのち、幸いに今の職場に拾ってもらって。
今は今でけっこうな長時間労働が続いているけれど、頑張れている方だと思う。周りの人がいいし、環境に救われていることも多いから。こればっかりは運もあるので、ありがたいことだなと感じながら生きる日々。


好きなコンテンツと二次創作と「実感」みたいなもの


ちょうどその「燻っていたころ」だったと思う。アイマスの二次創作にハマり出したのは。ゲームはその少し前から好きだったんだけど。
ウェブ上に数多散らばる巧拙入り乱れた二次創作の数々に、その空気感に、いろいろ魅了された。ただただおもしろかったし、楽しかった。コンテンツ本体に引っ張られるように二次創作の場も活気があったし、新作がどんどん投下されて熱量があって。素敵な作品も多くあったなぁと。

僕も何か投げてみようかな、と思ったのが2014年の末頃。
SSが隆盛だったこともあり、イラストや漫画に比べ参入がしやすかったこともあって。戯れに筆を取った12月のことを今でも覚えている。バイトが早く終わって暇だった午後のことだ。

今振り返ると文章としては拙い、一万字にも満たないショートストーリー。
けれど意を決してそっと投稿したそれは、とても温かなコメント群に迎えてもらえて。

SS投稿後のスレッドの様子

小さな小さな出来事だけど、とてもとても嬉しかった。
イベリア半島の端で「生きていい」と思えた、その先。
何かをすること。どこかに届くということ。それはまさにあの時の自分が欲しかった「実感」みたいなものだったんだと思う。

世のためでも人のためでもなく、強いていえば自分のために。
好きなコンテンツの周縁、賑わうウェブ空間の片隅で、書きたいものを綴って、投げて、言葉を交わす。

それはとても小さくて、歪で、でもとても大切なこと。

それからおよそ7年半。
僕は文字書きを名乗ってインターネットをうろうろし続けてきた。
いろんな縁があるもので、現実では繋がり得ない様々な人と相互フォロワーになれたり、イベントで会えたり話せたりして。僕の投稿する作品や僕という個人の言動を楽しんでくれる人もいたりして。恵まれたものだなと。

上述の通り、もともとはただ楽しいのためだけにそこにいたんだけど。
でもここでの日々が、現実を生きる僕をも前向きにしてくれた節が少なからずあると思う。けっして誇れる生き方をしているわけでも、自慢できる何かがあるわけでもない。「毎日が楽しい」なんて大きいことは到底明言しない。でも「生きていればおもしろいことだってあるかもよ」くらいは言えるんじゃないかなとは思っていて。
根拠があったってなくたって胸を張って生きた方が楽しいな、なんて考えるようになったのは、きっとここのおかげ。


イチャラブロマンティックって何だよ


話は変わる。
件の「燻っていたころ」にバイトが一緒だった人たち。今となってはそのほとんどとの連絡も途絶えてしまっているのだけど、ひとりだけ、就職後も不思議とゆるく連絡のやり取りが続いていた女の子がいた。
唐突に共有したいネタ画像を投げたり、これどう思いますなんて話だけが唐突に飛んできたり。それで話が終わったり。別にどうということもない内容ばかりで、ネットでつながっている友達に近い感覚のそれだなと思っていた。
あるとき、仕事のことで相談を受けた。珍しく真面目な話だったし、こちらも真面目に応対した。
あえていえば、契機はそのへんだったのかもしれない。それまで明るい一面と仕事をうまくこなす姿しか知らなかったけど、やっぱりちゃんといろいろ考えてるし、それゆえに悩むところもあったりするんだなという彼女の姿を知って。そのうえで明るくまとめて、前向きに生きていて。それはどこか素敵だなと感じるところでもあって。

もう少ししっかり、彼女と話をしてみたいなと思った。

それはたぶん相手にとっても同じで、ちゃんと聞いてくれるし答えてくれるという僕側の一面を知る機会でもあったようで、そこらへんから少しお互いの触れ方というか、会話がまた変わっていったように思う。
そこからも友人関係は長かったし、決してドラマティックなシーンなんてものはなかったけれど。
でも言い換えれば「なんとなくいいなと感じられた何か」がそのときから少しずつお互いにあったということで。それこそ大切にすべき素敵なことなんだろうなと。

で、要するにその彼女と結婚に至ったのが今というわけである。わからないものだ。

彼女は僕と違って仰々しい物言いもしないし、長々と口上を述べたりもしない。趣味を延々語り倒すなんてこともない。
ただ、不意に発せられる言葉になるほどと感じることは少なくなかったし、
あえて言えば、「優しい言語化」がうまい。そんな印象だった。

いつだったか、彼女は
「夢とか言われてもわからない」と語ったことがあった。
野心も野望も別にない。
ただ、毎日の中で、自分の見える範囲にあるちょっとした良さは大切にしたいな、と。そういうようなことをぽつりぽつりとつぶやいた。

自分の見える範囲にあるちょっとした良さ。
うまい表現だな、と思った。
いつもと違う道を歩いて帰ったりとか。
日常に新しい発見があったりとか。
お得な何かを手に入れられたりだとか。
あるいは、僕が喋るのを聞いたりとか。

「それも含まれるの」
「それも含まれる」

そんな感じの言葉の往来に、参ったな、と思わされたりした。

何が、というのは明言しづらいけど、
節々で見せてくれるその言動に、その佇まいに、その考え方に。
手放したくない、と感じる何かがあったんだろうなと。

余談だけどそんな感じのキャッチフレーズが印象的なゲームがあったよね


閑話休題。
彼女はオタクですらなく、僕の趣味にほぼ関わってこない。
「趣味は自由にしたいもんね」と笑う。
たぶんアイマスすら全然わかっていない。
彼女はお笑いを観るのが好きだ。共通するところは共有すればいいし、そうでないところはほどほどにしていけばいい。そんな感じで今はいる。
今後のことはわからないけど、家庭を大事にしつつ、これからも楽しんでいけたらなと思うところ。


脱線が多いオタクの会話かよ


少し話は散らかるが、ここ何年かの間に自分の中での読書のトレンドがかなり動いている。ものの数年前まで19~20世紀前半のヨーロッパの社会構造や空気がわかる作品が好きで、特にベル・エポックから第一次大戦前後あたりまでのフランスに気持ちが引っ張られてきた。『天国でまた会おう』の三部作、とてもいい。

少しだけビザンツ帝国の社会に目を向けて読む時期があったりもして。
中世から近世の疫病やそれによる社会の影響について読む機会があったりもして。

そして何年か前から中島敦の小説を腰を据えて読み始めて。もともと『古譚』の四編が好きだったんだけど、改めて『李陵』と向き合ったら今更ながらにハマってしまった。これまで中国史については基礎知識程度にしか興味を抱いて来なかった僕が、である。

始皇帝だとか、項羽と劉邦の攻防だとか、あるいは三国志だとか、中国史でもとりわけ作品にされがちだったり人気だったりする時代がある。それはたぶん、そのそれぞれに時代の姿があり、そこで際立つ人の動きがあり、いってしまえば「物語」があったからだ。
『李陵』は先に挙げた例のちょうど間の時代だけれど(前漢・七代皇帝武帝治世下)、漢と匈奴の関係、前漢最盛期を築いた武帝の凋落と闇、騎都尉李陵の勇猛さと悲運、中郎将蘇武の意志の強さと孤独、そして太史令司馬遷の言葉と愚直さと禍……など、「生きるとは」を問う物語がそこにあった気がする。
中島敦のテキストの硬質さが好きだったのはいうまでもない。けれどそれだけでなく、その頃の歴史や社会、その捉え方や描出され具合にまで興味が出たのは、つまりはそういうことだ。

奥行きを感じるために、ほぼ同じ時代を描いている北方謙三の『史記・武帝紀』まで噛み締めるように読んだ。知りうるところが広がって、また違った捉え方にも興味がわいて、とてもとても楽しかった。

内容のことはさておき。
言いたかったのは「今これが楽しいんだよ僕は」と呼べるものが新作・旧作問わずあるということ。むしろそれは増え続けているのが最近の僕だということ。

いろんな意味で、現状そういう僕でいられるのは幸運なことだなと思う。
仕事で疲れて何もやる気がないとか、年齢を経て騒ぐ体力がなくなってきたとか、あるいはリアルが充実しすぎて趣味にあまり傾注しなくなったなんて話も少なくないなかで。僕は今も僕なりの好きを失っていないような気がするし、そうあることに無理をしていないと思っている。少なくとも今は。

これからがそうだとは限らないけど、どうあれ根底のところではらしさを失わない僕でいられたらいいな、などと思いつつ。


おわりに


知り合ったのはずいぶん前なのに、恋愛に至ったのはそれからずっと後で。僕の襟を正してくれたのはアイマスの二次創作とインターネットコミュニティの賑やかでバカバカしい日々だけど、向き合って大切にしようと思った人はその外から現れて。

きっとこれからも、人生には予期しないような悲喜こもごもがあるはず。
だけどそれでも、それゆえに、
僕はこれからの人生にも期待して生きていきたいなと思う。

軽率に恋に落ちた記憶はないけど、必死で愛を掴んだのかもしれない。
知らんけど。


2022.05 三都日曜(浪漫街道石畳)


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