先生
中学生の頃、ある日の美術の授業で、コラージュ作品の課題が出た。雑誌や植物など、持参したものを加工して、画用紙に貼り付けていく。
当時の俺は、鋏で捩じ切った数枚の硬貨を、ぺたぺたと貼った。美術の先生が、法律ではダメだけど作品としては良いと褒めてくれて、うれしかった。最終的にどんな作品になったかは覚えてないけど、そのことだけ覚えてる。
その課題かまた別の課題だったか記憶は曖昧だけど、友人が画用紙をライターで焦がしていた時には、現代のピカソや、と先生も一緒になって楽しがっていた。ライターをなぜ持っているかは聞かなかった。そういう人だった。
先生は、美術準備室で野良猫を飼ってた。
他の先生に通報が入って、強制捜査が行われた時、準備室の前に立ちはだかって「ここに、ここに命があるんです」と訴えていた。
命があるんです、は校内で流行語になった。
ある日の授業中、グラウンドでマラソンをしている体操服の女の子たちを一緒に眺めて雑談していたら、こんどの週末にグループ展をやると教えてくれた。絵を見に行ったことなんて一度もない子どもだったけど、行くと気まぐれに言ってみたら、すごく喜んでDMをくれた。そこに載っていた先生の作品は、絵の知識のない俺の目にはただ禍々しく見える、裸婦像だった。バツ3だと言っていたのをなんとなく思い出した。
結局、先生の絵は見に行かなかった。付き合ったばかりのクラスメイトとデートすることになって、浮かれに浮かれて、すっかり忘れていた。
週明けの授業で先生と会い、開口一番に展示の感想を聞かれた。あっ、と思った。慌てて、どんな作品にも当てはまるような、ふんわりしたことを言って、嘘の感動を伝えた。
先生が、満面の笑みで、深く頷いた。
胸が痛んだ。
3年になる時に退職してしまったが、他の先生に友人らと頼んで、卒業式には呼んでもらった。卒業生一同で並んで集合写真を撮っていたら、親たちに混じって先生も一眼レフを構えていて、女の子撮ってるんやろと茶化した。カメラを奪って確かめてみたら、本当に女の子が並んでるところだけズームして撮っていた。俺らが呼んでんから俺ら撮れよと言ったら、お前らはええねんと笑いながら、渋々撮ってくれた。
卒業して数年経ち、中学時代の友人と二人でドライブをしていたある日の昼過ぎ、ふと先生の話になった。そういえばあのど田舎の村に住んでるって言ってたよな、と思い出し、その連想から、家にソーラーパネルをつけた話をしていたのも思い出した。あの村でソーラーパネルなんかつけてる家そうそうないやろ、表札見ていったら家わかるんちゃうか、ということになって、村へと車を走らせた。秋のことで、木々の色づき始めた山間の道路を抜けていった。
初めて行く土地で、「村」と聞いて人家もポツポツしかない僻地と思い込んでいたが、実際着いてみると、普通の田舎町だった。ソーラーパネルのついた家も、少し探しただけでたくさん見つかった。
住宅の並ぶ細い道で、諦めて車を停めると、少し先に小さな公園があるのが目に入った。休憩がてら立ち寄った。もう日は傾き始め、ひんやりとした風が漂っていた。
花火が車に少し残っていたのを思い起こした。夏が始まる頃に買って、ひと夏で遊びきれなかったのが、少し残っていた。
せっかくだから使ってしまおうと、公園の土の上に広げた。男二人で盛り上がりもせず、作業じみた気分で、一本ずつ火をつけていった。明るいなかで見る花火というのも、なかなか綺麗ではあった。夕焼けの空に煙がのぼっていった。
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