昔日のひと
テレビで加護亜依が歌ってた。綺麗な人だな、と思った。いや、言うまでもなく綺麗には決まってるんだけど、歌い始めると一際美しくなるのが、とても素敵だった。
アイドル現役時代を同時代で目撃していない世代の俺は、加護亜依という存在について、あんまり多くを知らない。それでも思うのは、年を重ねて、昔より美しいということ。
しかし、自分のこの美的判断が、他の人とどれだけ共有できるかには、あんまり自信がない。というのも、ある人の変化を、美しくなったと俺だけが言い、他の誰もが醜くなったと言ったという経験があって、それが強く心に刻まれているのだ。
俺は、人の変化した姿を、とかく美しく見過ぎるのかもしれない。
その人は17歳で俄に生き方を変えたのだった。少なくとも他人からはそのように見えた。
彼女の髪は黒から金色になり、交友関係が変わり、細い煙草を吸うようになった。それまでの友人たちの前には、あまり姿を見せなくなった。
ひと時は親しかったけれど、その少し前から縁遠くなっていた俺は、全く顔を合わせることがなくなった。
それでも、時々会っているらしい連中から、出所もわからない噂は聞いた。売りをやってる、とか、地元では名の通った、粗暴という概念を具現化したような男と、パチンコ屋の駐車場に停めた車の中でまぐわっていた、とか。
その手の噂話をしては、みな口を揃えて、昔は綺麗だったのに、と言うのだった。
他人から嫌われることの少ない人では、たしかにあった。人形のような顔をしていて、抜けたところがあり、ひそかに気が強い。良心深く、他人に甘えることをせず、明朗だがあまり多くを語らない。よくみんなと違うところでころころと笑い、ひとと交わるが群れない。ひとりでぼんやりしている姿が似合った。
彼女に暗い噂の立つようになった、数年後のある夜、俺は彼女と再会した。
地元のコンビニの前で偶然に顔を合わせたのだった。
一目見て、美しい、と思った。こんなふうに、煙草の似合う人だったのか、と意外だった。
誰もが、昔の面影は消えて、堕落して、醜くなった、と言うのが、俺には不思議だった。面影は消え堕落もしたのかもしれないが、かえって昔よりも美しいように思えた。
近況を語り合った。話してみると、昔とそれほど違っていない。少しだけ、話が上手になったというか、世馴れした風情があった。
少し前に病気をしたのだと彼女は言った。子宮に、メロン大の腫瘍か何かができて、あと少し発見が遅れていれば子宮を丸ごと摘出しなければいけなかったらしい。
すっと彼女はシャツの裾を捲し上げて、まだ生々しい手術の傷を見せた。
そのことに俺は虚をつかれた。
かつて、彼女は決して自分の腹を見せたがらなかったから。何も身に纏わない姿になって、今更なにを恥じらうのかという時にも、きまって毛布で腹だけは隠すのだった。
自分の体に引け目を感じていて、そこだけは見られたくないのだと言っていた。
それが、コンビニの駐車場の、白い電灯の下で、自ら躊躇いもなく腹を見せたのだった。
俺は、彼女の腹の、その透けるように白い肌に走る、鮮やかな傷を見つめた。
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