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札幌にて


札幌に来た。大阪での部屋探しが行き詰まり、昔から憧れつつ一度も訪れたことのない札幌に逃げてきたのである。この街に住むかどうかは、まだわからない。しばらくいて、気に入れば家を探す。我ながら気ままなもんである。
実家の親兄弟が、朝起きて唐突に「札幌に行く」と言い出し、帰省を即終了する俺を怪訝がっていた。急やなあ、と言われるが、急にしか動けないのだから仕方ない。気分屋なのではない、気分以上に優先しうるものが俺の中にはないだけだ。

すすきのをちょっと歩いてみるだけでも、この街の若者がいかに安く買い叩かれているかが目について、しんみりした気持ちになる。あらゆる価格が狂っている。
札幌はベタに寒い。ジャケットは持ってきているがそれでは足りず、真夜中のドンキホーテでパーカーを買った。
知らない街の真夜中のドンキホーテで買い物をするのは、嬉しかった。何組かの男女が買い物をしているのを見かけた。札幌の女性は美しいな、と思う。なんというか、存在が大きい。大らか、というのとも違う。もし俺にオーラみたいなものが見えたら、札幌の女性は他所の女性と比べて、広範囲にオーラを放ってるんだろうと思う。

冷たい風が人もまばらな道を流れる。区画がはっきりとした街並みで、風も人のように流れる。
厳密に整った、縦横にのびる街路。
どこにも、吹き溜まるところがない。入り組まないから、陰がない。全てが清潔で、明確である。
歩きながら、その歩みを誰かに強いられているようで、神経が妙に殺伐としてくる。
このうえ、冬は雪が積もるのか、と思った。本当にすごい街だ。正直に言って、たくさんの人が生活を送っていることを想像できない。試される大地……。

飯の味は、およそ関西と正反対という感じがする。
美味い。確かに何を食べても美味い。しかしどれも野生の趣が色濃い。
もしかして、北海道の人たちは「食事」というものにあんまり興味がないのではないか、という気がする味わいである。味そのものではなくその感性が、アメリカ料理にちょっと近い。
逆に関西人が食事に執着しすぎる、とも言える。
関西にいると安心するのはその点で、俺も無論そうなので、他人ととことん飯の話ができるのが心地良い。
東京では「店」の話をする者はいても飯それ自体の話を熱心にしたがる者にはなかなか出会わない。北海道は東京以上なんじゃないかと睨んでいる。

ラーメン屋で、漏れ聞こえる話から観光客と思しき兄ちゃん達が、ヒンナヒンナと言ってはしゃぎながら飯を食うので、ギョッとした。
札幌の街で、本州の人間が、アイヌ語を発しながらご当地料理を食べることには、どういう意味があるだろう。
そういう行為に及ぶ感覚は、関西人には少ないように思う(そう思いたい)。首都圏の人間は言動が帯びる差別的意味に無頓着だ、と感じる場面がしばしばある。

札幌の美しい女性を目にするたび、この殺伐とした街で、恋をするとはどういうことなのだろう、と夢想する。
地元の友人に、大学でこの街に来て、この街で結婚をして、暮らしを営む男がいる。滞在中に、会って話ができればなあと思っている。幸せになっていてほしい。

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