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遠く




夜、ごみを捨てに下りると、あんまり寒くて落ち着くものだから、そのまま散歩した。
イヤホンから流れる音を、一日中垂れ流しているゆるキャンから、haruka nakamuraの新譜に変える。
どこか懐かしい、心を決して脅かすことのないよう整えられた、甘やかなメロディー。

清潔な私立幼稚園の横を通る。ひと気はなく、廊下には橙色のライトがぽつんと点っている。まっくらな温水プール。
小学校跡地では大きなマンションを建設中で、白く高いフェンスのつるりとした表面を車のヘッドライトが流れていく。
音楽に流されて、暮らしているこの退屈な町さえ、初めて目にしたかのように美しくなる。いいことかわるいことか怪しいけれど、ご機嫌になるのだから、まあいいと思う。
見知った町を未知の町のように感じながら、幼い頃に親の運転する車の中から眺めた、無数の知らない風景への憧れが体の中によみがえってくる。夜の闇に煌々と光る高層ビルの窓、煙に霞んだ山間の集落……。幼い言葉では追いつかないほどの深い切なさに、いつも胸が苦しくなった。
そういう風景に、かつて見たことがあるという感触を覚える瞬間が、とても好きだった。いわゆるデジャブだが、当時はそんな言葉も知らない。
デジャブというのは、ほとんどの場合、一定の年齢を過ぎると感じなくなるらしい。自分の経験でも、確かにずっと幼い頃にしか感じた記憶がない。もちろん今は全くない。俺は子どもより大人のほうがはるかに幸福だという人生観を持っているけれども、この点においてだけは子どもが羨ましい。
今も昔も、知らない場所でありながら、そこにある生活を予感させる風景が好きだ。人が生を営むとは、ここでもあそこでも似たような、退屈な悲劇でしかないと年をとるごとに思い込むが、それでも一瞬、想像だにしない生活がそこにあると錯覚させてくれる風景。そこに入り込んでしまっては消失してしまう、遠さゆえの儚く軽い幻想。非日常の日常。
おもえば、そんな決して届かない憧れに、ずっと焦がれてきた。



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