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話しかけられたい


最近、他人に話しかけられることが増えた。
よく「壁がある」と言われてきた人生で、そのことに悩んだ時期もないではないから、話しかけられるたびに嬉しくなる。
隙ができたというやつなのか、知らず知らずのうちに世界へ心を開いているのか。
しかし昔は壁があると言われてもよくわからず、向こうが勝手に感じてるだけだと拗ねたりもしたものだが、それは勘違いだったと思い知っている。
というのも、普通の気分でいると声をかけられる一方で、今は一人になりたいと心のどこかで思っていると、自然に誰からも声をかけられないのだ。自ら壁を作っている状態というのは本当に存在しているらしいとようやく気付きつつある。

この前は、マクドナルドの駐輪場からテイクアウトしたものを自転車のカゴに入れて出ようとした時、通りすがりの中年女性に呼び止められた。後輪の空気が抜けてる、と言う。
はあ、と戸惑いながらイヤホンを外す。眼鏡をかけた几帳面そうなその女性は、あなたは体格が大きいから抜けやすいだろうとか、前に空気を入れたのはいつかとか、のべつまくなしに話し続ける。約数分間、見知らぬ彼女の自転車整備講座。
なんなんだこの時間は、と可笑しくなりながら聞いた。そのまま聞いているといつまでも続きそうだったので、買ったものが冷めてしまわないうちに礼を言って別れた。

家のWiFiが機能しなくなって、ソフトバンクに行った時のこと。
スマホも速度制限がかかっていてネットで原因を調べることもできず、徒歩一分のところにソフトバンクショップがあるから直接相談に行った。しかしまさか携帯キャリアショップの近所という立地を嬉しく思う日が来るとは……。今までは「何が建つのかワクワクしている近所の空き地にできたらガッカリ施設」ランキング上位の存在でしかなかったのに。
男性の店員さんに話をすると、故障かもしれないから、と相談窓口の電話番号を教えてくれた。
店を後にし、マンションに戻った。
エレベーターを降りて、部屋の前まで来た時に電話が鳴る。出ると、つい先ほどまで応対をしてくれた店員さんだ。
開口一番に彼が「謎が解けました……!」と切り出すので、思わず笑ってしまった。なんでそんなテンションなんだ。
俺が笑うと、彼も「大げさでしたね」と笑った。そして、どうやら俺が帰った後にWiFi不通の理由が判明したようで、気さくに色々と説明をしてくれた。
この時俺は、彼の、変なテンションで話し出すほどの気さくさが嬉しかった。店員として客をもてなしているに過ぎないわけだけれど、しかしそういう応対を許す人間に自分が見えていることは、やっぱり嬉しい。始終、互いにくすくす思い出し笑いをしながら、電話を終えた。

子どもというのは大人の顔色をよく見ているのだろう。自分の幼少期を振り返ってもそんな気がする。だから飯屋で、目が合った他所の子どもがこちらに手を振ってくれた瞬間は、俺もついに「子どもから気を許される大人」になれたのかと感慨深いものがあった。
いつもは子どもに見つめられたりしても、リアクションを返して泣かせたら困るから素知らぬ顔をするのだが、その時ばかりはさすがに手を振り返した。
それから、俺が店を出るまで度々手を振られた。大人の勝手な気持ちだが、子どもからの承認の癒し効果たるや。毎回全力で応えた。
何度目かに、親が気付いた。ちらとこちらを見た。
すぐさま目に疑いの色が浮かび、子どもにやめなさいと囁く。
わかります、俺が親でもそうします、と胸の内で共感。
子どもに手を振られるという関門はクリアしたので、今度は親も微笑んで眺められるぐらいに不審さのない見た目を目指していきたい……。

マンションのお隣さんであるお爺さんと、時々廊下なんかでばったり顔を合わせてはちょっとした言葉を交わすのも楽しい。
しかし先日はヘマをしてしまった。ある日、近所を歩いていると、向こうから老人が手を上げてやってきた。「誰だあの人は……変な人だな……」と思って無視し、すれ違ってしばらくしてからお隣さんだと気付いた。慌てて振り返ったが既に姿はなかった。
それからずっと、やってしまったと、不意に記憶が蘇っては胸を痛めていた。
それがこの前エントランスで会い、その件についてようやく謝ることができた。
顔を合わせてすぐ「あの時は」と話し出したら向こうも同じ話を始めて、やっぱり覚えていたか、悪いことをした、と本当に申し訳なくなった。
色々とアタフタ言い訳しながら謝ったら、笑いながら、いや俺が悪かったよと謎の収め方をしてくれた。お隣さんが悪いわきゃない。
彼と別れて部屋に入り、ようやく謝れたとホッとしたが、すぐに不安の種がまた胸に。わかってたならなんで謝りにこなかったんだ、とか思われてないかな? という不安……。
慌てて「なんでそこまでせなあかんねん」と身勝手な図太さを自ら煽り立て、なんとか気持ちを落ち着かせた。

昨夜、また廊下で会った。
今日も冷えますね、とか少し話してから、おやすみなさいと挨拶を交わして部屋に入った。
まともに生きてきた人には笑われる話だろうが、たったこれだけのことで、俺はひどく感動した。
天気の話をして、挨拶をして、別れる。自分がそんなこと出来るようになるなんて、昔は想像もしなかったから。
年を取るのは良いことだなあと、しみじみ思うのだった。


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