忘れるための儀式

 今日、2021年(令和3年)3月11日は東日本大震災から10年となります。
 私自身は熊本地震の体験もあってか大きな災害の画像や映像を不意に見てしまうと,
体調に影響が出てしまいます。
 それでもそのときの記憶を「思い起こす」ことはどこか自分に取って必要なことなのではないかとの考えもあって、報道やSNSでの取り上げを見るにつけ複雑な思いを抱きます。

 なにかのきっかけによって引き起こされるフラッシュバックが後年になって逆に強くなることなどもあるでしょうし、「見ない、触れない」という選択も必要な方も多いかと思うと、「風化させてはいけない、忘れてはいけない」という思いと「そのときの記憶が現在の心身に悪影響を与えてしまう」という状態とをどのように折り合わせていけるのか、ずっと悩んでいます。

 そんな中途半端な考えしか無い自分ですが、1999年にかつてのサイトで掲載していた日記的な文章を、このnoteに残しておきたいと再掲しました。1999年10月9日に発表した文章となります。

 多くの方が亡くなられた震災の当日に「人の死」とそれを「忘れる」ことを題材にした文章を載せることは、とても不謹慎なことかもしれないとも思いました。それでもその「人の死」を「うまく忘れていく」ことは、自分に取って必要なことなのだと考えています。

 以前のサイト中では一人称に「おいら」を当時は使っていて、さすがにこの年(50代半ば)では恥ずかしい気がして「私」に変えています。また漢字の使用方も少し変更していますが、文章内容そのものはいじらずにそのまま掲載します。
 20年以上も前の文章で見返しての拙さも恥ずかしいですが、儀礼的な側面が人の心に与える影響については今でも同じ考えでいます。

 文章全体が「人の死」に触れていますので、ダメだな、と思われる方は目を通されないでください。そのため、この前垂れ文と本文の間にスクロール用のかなりの空白行を入れています。



(ここより下に人の死に言及した文章があります)











(ここより下に「人の死」に言及した文章があります)






忘れるための儀式

 先日(旧サイト掲載時の表現で1999年のことです)、私は知人の親御さんの告別式に行って来ました。私自身が亡くなられた方との面識があったわけではないんですが、やはり残された方々のことを思うと、そのことで悲しくなってしまいます。
 日本では誰かが亡くなられた際には仏式での弔いをされるところが多いとも思います。その中で、通夜、告別式、出棺、火葬、納骨、初七日、(間に色々あって)四九日など色々な儀式がありますよね。冠婚葬祭でいう、「葬」の部分。不謹慎なことかもしれません。でも、これが今日のお題です。

 人間、どのような立場であれ、愛する人を失うということはとてもとても大変なことでしょう。その場合の喪失感の補填というものは生なかなものではできないという話しを聞いたことがあります。

 それでも残されたものは生きていかなければなりません。その、残されたものが上手に喪失感を薄れさせていく、すなわち「故人のことを上手に忘れていく」、そのために様々な「葬」における通過儀礼があるのだと思うのです。
 仏式だけでなく、神式やキリスト教の葬祭儀礼も順を追った段階が準備されています。短いスパンでは先程述べたような儀式がありますが、仏式では一周忌、三回忌、七回忌、・・・・・五十回忌など、結構一人の人間の人生のスパンとも対比できるほどの儀式が用意されています。そして、これらの儀式を一つ一つ「けりを付けていく」ことが、「うまく忘れていく」作用をしているとは言えないでしょうか。

 私自身も親戚や知人の死に際して、最初はもちろん悲しみに心を覆われてしまいました。そのうち、一つ一つの儀式をこなしていくにつれ、「やれやれ一段落済んだ」ということでホッとする瞬間を迎えはじめます。儀式の度に故人のことを思い出すわけですが、その度に緊張から解放される安堵感みたいなものもセットになって味わえる。これこそが悲しみを少しずつ「思い出」に変えてしまうシステムだと思えるのです。
 なんかこううまく伝えられる言葉を見つけきれないのがもどかしいんですが、緊張と解放の繰り返しって、耐性の獲得に役立ちそうな気がするんですよ。そしてそれこそが、先人の手によって洗練されてきた様々な「葬」における通過儀礼の真の目的のような気がするんですがいかがなものでしょう。

 別に信心深くもない私のことですから、「困ったときの神頼み」ぐらいしか神仏をあてにすることはありません。ただ、祈り、思い、念ずることそのもには敬意を払いたいと思っています。
 その祈りや願いが心をふと離れるその瞬間に、もしかしたら人は真の願いを聞き届けてもらえるのかも知れないと思うからです。