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たまにはいいじゃない。

10代が終わる前に

ふとしたことをきっかけに自分の人生を振り返る時間が出来た。
毎日遊んで寝て遊んでた保育園時代。
世界が広がり始めた小学生時代。
野球に3年間の人生を捧げた熱い中学時代。
勉学と自分の生き方のコンパスを探し続けた高校時代。

そして今。
何者かになりたくて。
何かに縋って、何かに依存してまでもそうなりたくて。
色んな事に手を出して自分の存在価値を生み出したくて必死になる。
自分自身を他の誰かに認めてもらいたくて。
でも、そうしようとすればするほど反対に周囲は遠ざかっていった気がした。
元々好きでもないこともやってきた結果残ったのは何もなかった。
空回りばかりをし続けて既に大学2年生の終盤に差し掛かっている。

どこか自分の人生の正解を見つけたくて生きているそんな自分がいる。
周りを見渡せば充実した人生を送っていることが見えてくる。
羨んでいる自分に気づき自身を見つめ直す。
「本当に俺はこのまま一生を過ごすことになるのか」と。
焦りと不安が押し寄せてきて、潰されてしまうこともしばしば。
夜になれば一人ベッドで布団の中でうずくまり言葉も出ないほどに悔し涙を流す。

次の日起きれば何事もなかったかのように生活している自分がいる。
そしてまた何かをきっかけに焦りと不安を感じ涙する。
これの繰り返しをここ一年半以上している。
馬鹿みたいにひどい人生。馬鹿みたいじゃなくてもはや馬鹿なんだろう。

比較する必要が無いということはわかっている。
比較したところで何かが変わるわけでもないこともわかっている。
比較したらまた布団の中でうずくまるのだろう。
でも、それでも比べることをやめられない。
馬鹿で承認欲求の塊の人間なんだ。

どこか無理して自分に負荷をかけてまでも友達が欲しくて。
でもそうすると疲れてやはり限界が来るわけで。
お世辞を言い続けるだけの関係なんて性には合わなくて。
だけどそれじゃあ友達なんて作れない。
いつの間にか友達の作り方を忘れてしまったんだな。
どこまで踏み込んでいいのかが分からなくて躊躇う自分がいる。
友達を作るためには自分をさらけ出せなんて言うけれど難しすぎないかそれ。

最近、大学の講義で人間の心の中で最も深い憧れは「愛の独り占め」ということを知った。
なんだ俺の事じゃんって考えたんだ。
お金持ちになることが幸せ?違う。
有名人になることが幸せ?違う。
ただ自分を愛してくれる人がいることが幸せなんだ。
こんなエゴの塊的な人間、正直醜いと思う。
だけど、求めてしまうんだ。

上手く生きている人を見ては死ぬほど羨み、
心の中で神に人生を入れ替えてほしいと何度も叫ぶ。
人生に価値をつけたくて、たくさん動いて、たくさん笑おうとして。
でもそれは寂しさと悲しさと不安と焦りの裏返しだった。

ああ、愛されたい。
こんな回りくどいことを言ってきたけれど、
こんなにもどうしようもなく不器用な人間だけども、
愛されたい。
認めてもらいたい。

なんかメンヘラチックな文章になったけどいいか。
これからもたまには自分の中に溜まった毒を吐きたい。

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