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あなたは「やりたいことが見つからない」という人ですか?

9月の終わり頃に大学の講義で出会ったクラスメイトかつ後輩が出演した舞台を見に行った。舞台鑑賞なんてものは、恐らく2018年の高校三年生の11月に見に行った高校の先生が所属している地元の劇団の舞台以来だと思う。

そもそも、舞台鑑賞はおろか映画鑑賞でさえ滅多にしない。なぜなら、「長いから」。その一言に尽きる。一度見始めたら、最後まで見るタイプなのだが、アニメやYouTubeの短時間動画に慣れてしまっているがゆえに見るという選択肢を取らないようになっている。つまり、自分自身の中でのハードルが上がってしまっているということだ。

そんな自分であるにも関わらず、なぜ今回わざわざ舞台を見に行ったのか。二つ理由がある。一つは、見知った人が舞台に出演すると言うことである。どんな演技をするのか気になった。もう一つは、劇のタイトルだった。滅多に鑑賞しないが、鑑賞する時には決まって共通点がある。それは内容や出ている俳優とかに興味があるからではなく、パッと見た時のタイトルのセンスである。自身にセンスがあるかどうかはさておき、付けられたタイトルが自分の好みセンサーに入った時に、その映画や舞台について何も知らない状態でもとりあえず見るようにしている。

これは漫画を読む時や読書、音楽を調べて聞いて見る時にも共通している。個人的好みのタイトルセンスがあったときにトライをしようとなるのだ。そして、トライしようとした劇のタイトルはというと、「時に想像しあった人たち」だった。なんかよくわかんないけど、「見てみよう・見てみたい」と思えた。実際、鑑賞して見ると、ギャグベースで進展していくストーリーの中で時折、見るものをハッとさせるような核心を突くことを言う。あるいは「そんなこと言うのはナシにしようよ」と思ってしまうくらいにシリアスなシーンが突然ぶっこんでこられるので、その緩急によって笑いとどこか演技に集中できないくらいには瞬間瞬間で自分の人生を見つめ直してしまった。

長々と書いたが、「面白かった。満足した。」の感情を抱いた。そして、特に舞台鑑賞に関してだが、その面白さを再確認することができた。特に、地元の大きくない箱での舞台の面白さだ。演者と観客の距離が近いからである。近いがゆえに演者の息遣いや迫力が存分に楽しめるからだ。舞台鑑賞にハマる人の気持ちが分かった気がした。

そして、ここからが本稿の本題となってくる。今までのはなんか書きたかったから書いた、いわゆる前座みたいなものだ。

実は舞台を鑑賞した後、もうひとつ頭の中に浮かんだことがある。それは、「友達を大切にしよう。友達に感謝しよう。あ、やばい。誰かに会わなきゃ。」というものだった。

というのも、上記のシリアスなシーンの中で、印象に残ったセリフがあった。それは「いい大人が夢見続けるのはサイテーだ」というものだ。そもそも、前提としてこの舞台自体が、やりたいことや夢を素直に語れる少年少女心が時を経るにつれて薄れいずれ現実しか見ないようになり、いつしか自分たちの可能性を自分で潰していく大人的な考え方に対するアンチテーゼ的なものである。と、言い切りたいが、このストーリーを描いた人の真意はわからないので、この場では私がそう思ったのでこれをベースに書き続けていく。

とにかく、そういう子供の時持っていた輝いていたものが、社会を知っていく過程でそうじゃなくなる的なことをイメージしてもらいたい。

このイメージを持ったうえで、先ほどの「いい大人が夢見続けるのはサイテーだ」というセリフをあなたはどのように受け取るだろうか?私は、残念であると感じた。「なぜ夢を見ることがサイテーなんだろう。」と。確かに、「夢は目標と違って、叶えられないもの」と言う人はいるし、その言葉を聞いたこともある。それくらい実現して手に入れるものが難しいのが夢であることも知っているし、そうだと思っている。ただ、それがサイテーであることとは関係ないと思った。ロマンチストで楽観的な人であるからそう思えると言われればそれでおしまいだが、夢には人が自分らしくパワフルに生きるための活力となる側面もあるし、夢を見続けるからこそ人はいつまでも輝き続けることができるとも思っている。だから、夢を語ったり、希望や目標をはっきりと言葉にすること自体またはそれをする人に魅力を感じるし、友達になって友達であり続けたい自分がいる。

すこし話は逸れたが、「友達を大切にしよう。友達に感謝しよう。あ、やばい。誰かに会わなきゃ。」と思ったのは、そう言われてきた自分とそう言う大人のことを思い出した上で、今自分は何をすべきか考えた時に、誰でもいいから、1人でいいから、はっきりと自分の口で「俺と出会ってくれてありがとう。」と言いたくなったからである。

それで舞台鑑賞後にすぐ電話して、高円寺にいる親友と1時間程度飯を食いながら、ただおしゃべりしてきた。これに関してはよく行動したなと自分を褒めたいし、そんな俺に付き合ってくれた親友には感謝だし、こいつと親友であることを誇りに思った。

と言う感じで今まで書いてきたけど、タイトル回収できてないことに気づいたので問いたいと思う。あなたは「やりたいことが見つからない」という人ですか?もしそうだな、当てはまっているかもと一瞬でも、一欠片でも感じたのなら夢を語ることに、そしてやりたいことや好きなことを発言していくことを自信もってやってみること、もしそれも厳しかったらリストにして書き出してからそれが実現できている自分をイメージすることからスタートするのもいいかもしれない。また、そうじゃなくて、やりたいこといっぱいあるし夢も目標もあるぜっていう人はそのまま周りが本気であなたを思って「やめろ」という言葉以外は無視して突き進んでいってほしい。まじの「やめろ」に関しては、一度客観的に自分を見つめると言う意味で受け止めてみてほしい。その上で、自身がやりたければやればいい。とりあえず、「自分の可能性を自分で潰さないで。」という言葉を最後に送りたい。いつの間にか社会で生きることとは何かを知ったつもりでいるかもしれないが、そこまで社会はあなたに興味を持っていないし、あなたの限界なんて知らないし、あなたが失敗したとしても成功したとしても基本知らんぷりだから、やりたいことやっていきやしょうや。

P.S.
生意気に見える文章かもしれないし(生意気だと自覚していやす)、「まだ22年しか生きていないガキが何を言うとんねん。」と思う人はいるかもしれんが、これを読んだ人たちの心か頭に残る一片が本稿にあると嬉しいな。コメントもくれたら嬉しいよ。

これから読んでくれる人にありがとうを先に残しておく。「ありがとう。」
そして、書く書く詐欺して、今になった。それにいつまで経っても文章は上手く書けないや。まぁ、いっか。じゃあね、またいつか。


#舞台感想 #時に想像しあった人たち #排気口 #エッセイ #感情の記録場


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