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黒義時 VS なんかムカつく仲章

2022年11月20日、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第44回「審判の日」が放送されました。

源実朝(演:柿澤勇人)が右大臣に補され、鶴岡八幡宮に参詣するまでの物語が描かれています。

アバンに出てきた犬の話は建保六年7月9日の『吾妻鏡』の記述がベースになっています。

義時は先日、鎌倉殿の鶴岡八幡宮へのお参りに供奉し、夜になって屋敷へ帰って寝たところ夢を見ました。夢の中で薬師十二神将の内の戌神将が、枕元に立って言いました。「今年の参拝は無事だった。しかし来年のお礼参りはお供をしない方がいい」と。

『吾妻鏡』建保六年七月九日

この夢で北条義時(演:小栗旬)は大倉薬師堂を建てる決心をしていますが、トキューサ(時房/演:瀬戸康史)北条泰時(演:坂口健太郎)から

「鎌倉殿の左大将(左近衛大将)就任のお祝いで、京から多くの方々が来られました。そのため御家人も民も多くのお金を使いました。そんな時にお堂を建てるなんて民を安んじめることじゃない」

と諫められていますが、義時は

「これは私個人の安全のためだ。民を煩わせるようなことはしない。八日の戌の刻に薬師如来のお告げがあったのだ。なぜ私が思い立ったことを止めようとするのか」

と反論したと記録に残っています。

で、同年12月2日、大倉薬師堂が完成しています。
ドラマの中で義時が言っている

義時「お願いしてから四月でこれだけのものを作ってくださるのですから、頭が下がります」

『鎌倉殿の13人』第44回「審判の日」1:34あたりから

につながるわけですね。

それではこのあたりの歴史の流れも踏まえて、振り返りいきます。

俺たちの泰時、侍所所司に

1218年(建保六年)7月22日、実朝は侍所所司(次官)を5人選びました。選ばれたのは以下の通りです。

北条泰時(演:坂口健太郎/式部大夫/義時嫡男)
二階堂行村(二階堂行政<演:野仲イサオ>の子/検非違使)
三浦義村(演:山本耕史/左衛門尉)
大江能範(大江氏の縁者?)
伊賀光宗(のえ<演:菊地凛子>の兄)

ここで実朝は筆頭所司を泰時としています。
さらに行村と義村を部下として使役しろと言っています。

義村は和田義盛が侍所別当の時代から所司を務めており、この中でもっともキャリアが長い存在でした。そんなベテランの義村が新人の泰時に完全に出し抜かれた形になっています。

義村の心境いかばかりだったでしょうか。

なお、この人事はトキューサが実朝に上申して、裁可されたと記録されています。

実朝、内大臣補任と政子の昇叙

同年10月19日、京の佐々木広綱(佐々木秀義の孫)からの遣いが鎌倉に到着しました。知らせは2つあって、1つは順徳天皇中宮(皇后)九条立子が皇子を産んだこと。もう1つは10月9日付で実朝の内大臣補任を知らせるものでした。

この時生まれた皇子は懐成親王で、後に仲恭天皇となります。
承久の乱で何にも悪いことしてないのに皇位を剥奪された不運な天皇です。

また実朝は内大臣に補任されましたが、左近衛大将は兼任とされています。これより少し前の10月13日付で、政子が従二位に叙任されています。

実朝、右大臣補任と政所の政務体制

同年12月2日、実朝は右大臣に補任されました。
この年1年だけとってみても実朝の補任には驚くべきものがあります。

1月18日:権大納言に補任
3月6日:左近衛大将・左馬寮御監に補任
10月9日:内大臣に補任(左近衛大将・左馬寮御監兼任)
12月2日:右大臣に補任(左近衛大将・左馬寮御監兼任)

なお、実朝右大臣就任時に左大臣の人事も発表されていて、この時の左大臣は九条道家(順徳天皇中宮・九条立子の弟)でした。

12月20日、右大臣としての「政務始」が御所で行われました。この時の政所の出席者は次のとおりです。

北条義時(陸奥守/執権/政所別当)
二階堂行光(二階堂行村の弟/政所所司)
源 仲章(文章博士/将軍家家司)
源 頼茂(右馬権頭/源三位頼政の孫)
源 親広(武蔵守/大江広元の嫡男)
北条時房(相模守/義時弟)
森 頼定(左衛門尉)
清原清定(図書允/右筆)

これが当時の政所の政務体制だったと見ています。

12月21日、実朝右大臣補任のお礼参りのため、上皇より儀式用品が一式が京から送られてきたことが『吾妻鏡』に記録されています。
実朝と上皇の昵懇ぶりがよくわかる事実です。

実朝の御所移転話は虚構

今回のドラマの中で一番驚いたのが、御所移転の話です。

実朝「私はいずれ京へ行こうと思う」

義時「京へ?」

仲章「右大臣ともなれば、本来上皇様にお仕えすべきもの」

実朝「ゆくゆくは御所を西に移すつもりだ」

義時「……お待ちください」

仲章「内裏に近い方が何かと都合が良いのだ」

実朝「六波羅(清盛入道の旧宅)にしようと思う」

義時「……頼朝様がお作りなったこの鎌倉を、捨てると申されるのですか」

仲章「はっきり言ってここは験が悪い」

義時「鎌倉殿にお聞きしている!」

実朝「……そういうことにはなるが……まだ先の話だ」

『鎌倉殿の13人』第44回「審判の日」14:19あたりから

上皇に心酔している実朝なら、こう考えるのは理解できないわけではありません。

しかし、一度も京に上ったことのない実朝が「六波羅」という具体的な地名を御所の移転候補にしている時点で、誰かの入れ知恵があったであろうことは、義時でなくても推測はつきます。

そう、源 仲章(演:生田斗真)の差し金、以外には考えられませんね。
そして、この話はドラマの中の虚構です。

仲章の野望

仲章は前将軍頼家の死に不審を抱き、義時の妻である「のえ(演:菊地凛子)」を籠絡しようとします。そして義時にも揺さぶりをかけました。

義時は仲章に

「そなたの目当て(目的)はなんだ。なんのために鎌倉にやって来た?」

と尋ねます。それに対し、仲章はこう答えました。

仲章「京で燻っているよりは、こちらで思う存分自分の腕を試したい。望みは……ただの一点。人の上に立ちたい……それだけのことよ。やがて目障りな執権は消え、鎌倉殿は大御所となられる。新たに親王様を将軍にお迎えし、私がそれを支える」

『鎌倉殿の13人』第44回「審判の日」16:35あたりから

え、そんな単純な理由だったのかと思うくらいわかりやすいですね。

私はこの人は鎌倉を乗っ取って北条を排除し、東日本全域を支配していずれ上皇と戦うぐらいの野心をもってるのかと思っていたのですが、あんがい小物なんだなという感想です(苦笑)

これに対し義時は「お前には無理だ」と言いますが、仲章は「血で穢れた誰かより、よほどふさわしい」と反論しました。

ここで、問題です。
阿野全成の嫡男・頼全を比企能員の命令で殺したのは、どこのどなただったでしょうか?

はい。正解は源 仲章でしたね。
ほんと、どの口が言えるのよと思いますわ。

そしてこの仲章のセリフは、鎌倉を朝廷が支配するための布石でしかなく、これまで朝廷の支持を得ながら鎌倉の自治権を守ってきた義時には受け入れられるものではありませんでした。

ここで義時は仲章を暗殺することを決意します。

三浦の足止め

一方、泰時は三浦館を尋ねていました。実朝のお礼参りに三浦の兵を不参加にするように義村に伝えに来たのです。理由を尋ねる義村に対し、泰時はこう言いました。

泰時「昨年の左大将の直衣始めのおり、三浦殿のために出発が遅れました。鎌倉殿はそれを気にされております」

義村「身内で揉めただけだ。大した遅れではない」

泰時「また同じようなことがあっては困るのです」

『鎌倉殿の13人』第44回「審判の日」19:50あたりから

これは1217年(建保七年)7月8日の『吾妻鏡』に書かれている内容がベースになっているのではないかと思われます。

この日、左大将となった実朝がはじめて直衣装束を着て、八幡宮に参内する儀式がありました。儀仗兵として加わっていた三浦義村長江明義(鎌倉氏嫡流)の間で順番の譲り合いが行列の遅延となることがあったのです。

もともと三浦義村が左、長江明義が右に侍ることになっていました。
それを義村が

「明義殿は自分より年嵩。右に並ぶことはありません」

と言い出したのです。これに対し明義は

「いやいや、義村殿は官職を持つ身であり、三浦一族の棟梁。当然左に並ぶべきである」

と譲らなかったのです。この譲り合いが決着しないと行列が出発できないため、溜まり兼ねた二階堂行村が実朝のところに行って、「なんとかしてください」と申し上げたところ

「ふたりの謙譲の精神見事。今日の外出は大事な行事であるが。そこで三浦義村は明義より若いのでまたの機会があるだろう。明義は高齢のため、もうこういう機会がないかもしれぬ。よって、ここは明義が左に並んで子孫への名誉にせよ」

と裁可されて、行列は出発の運びとなったという話です。

しかし、ドラマの中で義村はこの泰時の申し入れを「企てが露見した」と看破し、すぐさま計画を中止の方向に舵を切ります。

しかし、公暁は逆に三浦を見放す方向に舵を切りました。

黒義時、最高潮へ

義時はトキューサに対し、

「これからは修羅の道だ」

と言い、仲章を暗殺すること、そして公暁が鎌倉殿を狙っていることを伝えます。すぐに公暁を取り押さえるべきという時房ですが、義時は「余計なことはするな」とそれを制止しました。そして大きなため息をつき、疲れ切った表情を浮かべてこう言うのです。

義時「もはや……愛想がつきた……フッ(苦笑)……あの方は、鎌倉を捨て、武家の都を別のところに移そうと考えておられる……そんなお人に鎌倉殿を続けさせるわけにはいかん……断じて……」

『鎌倉殿の13人』第44回「審判の日」26:37あたりから

これまでの義時は、「鎌倉殿を頂点とした鎌倉政権」を守るために謀略に手を染めてきました。

今回の仲章の暗殺も鎌倉が朝廷に支配されるのを防ぐためであり、これまでの義時の行動理念に沿った排除行動です。

しかし、今回、公暁が実朝の命を奪おうといることを見過ごそうとしているのは違います。以前の義時ならどんな手を使っても実朝の命を守ろうとするでしょう。しかし、義時は実朝が鎌倉を捨てて京に御所を移そうとしている考えを聞いてしまいました。それは東国武士の自治権を失うことになります。つまり頼朝以前の状況に戻るということです。

ここまで手を血で染めて染め尽くしてきて鎌倉を守ってきた義時にとって、それは絶対に受け入れられない現実だったに違いありません。

実朝、反北条へ

ドラマの中で実朝は公暁が自分を殺めようとしていることが腑に落ちず、当時のことをしっている善信(三浦康信/演:小林隆)を呼び出して、何があったのかを「鎌倉殿として尋ね」ました。

その結果、頼家が比企の縁者となったために消されたこと、自分が北条氏の幕府内部の権力維持のための人形として祭り上げられたことを知らされます。

実朝は自らが鎌倉殿になるべきではなかったこと、そして頼家の後は本来公暁が継ぐのが筋道であることを知り、自分の運命を絶望視しました。

実朝は八幡宮の千日籠の行に入っているお堂に公暁を尋ねて土下座します。
公暁は言いました。

公暁「私はただ、父の無念を晴らしたい……それだけです。あなた(実朝)が憎いのではない。父を殺し、あなたを担ぎ上げた北条が許せないのです」

『鎌倉殿の13人』第44回「審判の日」33:39あたりから

それを聞いた実朝は公暁と力を合わせて鎌倉を源氏の手に取り戻す決意を固めます。

しかし、公暁は違いました。
彼の狙いは鎌倉殿と太刀持として随行している義時を討つこと。

その決意は変わらなかったようです。

さて明日、いよいよ八幡宮で実朝暗殺が行われるわけですが、三浦義村がどのように動くのか。また脱ぐのか(苦笑)。に注目ですね。

トウ、暗殺失敗

義時の命を受けて、仲章暗殺を実行しようとしたトウ。
しかし、仲章の罠にハマり、仲章に捕まってしまいます。

しかし、あの仕掛けだと、仲章は義時が自分を暗殺するであろうことを予測し、なおかつ狙われやすいシチュエーションで待ち構えてきたところに罠を貼っていたらトウが引っかかったということなります。

暗殺者としては呆れるくらい無能ですね(苦笑)

そして鶴岡八幡宮の参詣について太刀持として加わろうとする義時に対し、ムカつき度300%ぐらいの顔で「生きてまちた」感を出す仲章。

もう最高のヒール役だと思います。

最後にツイッター上で、秀逸だなと思った歌を貼っておきます。


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