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研究の息抜きに1


 連日ずーっとゴミと宝について考えていて研究ノートの整理
 我ながらおかしいのかなとか思いながら必死豆炭で書いてる

 ゴミと宝というと語弊があるので資本と生命と言い換えたい
 ほんとうは無駄な物事・人なんてのは無いのだと今では思う

 ただ資本と向き合う者と生命と向き合う者は暮らし方が反対
 いわば労働者と稼動者ってのはその意味で主人か顧客に似る

 ほんで研究上で分かってきたのはおそらく労働者の中心が親
 親ってのは心理学的にはおそらく最大の投影対象で苦を抜く

 一方で子ってのはその反対で楽を抜く者でありいわば・・・
 親は正しく嫌われやすく子は虚しく好かれやすくその均衡で

 むかし錬金術師という今日でいう化学者が中世欧州に居たが
 ゴールドを合成するために頑張ったが失敗に終わってしまい

 ただゴールドに価値がある前提で合成していたから私と違い
 そもそもなぜゴールドに価値があるのかに私は疑問を抱いた

 そして"価値"の対義語を"実利"と呼ぶならばきっと・・・!
 ・・・その対極の反転が何を意味するかまで考え抜いてきた

 むかし"産めよ殖やせよ"みたいなことは散々言ってきたはず
 成長社会においてはゴールドに価値を置きそうしたのは正解

 しかしその後の成熟社会において帰りの切符が見当たらない
 なぜなら生産は群集で行われるがその反対は孤独の道だから

 かつての成長社会ではネオテニーな個人の未熟性には盲目で
 だがこれからの成熟社会ではそこがきっと焦点になってくる

 先日スタディサプリで近未来のそんな講演をふと見入った!
 内容はさておき演説の上手い講師だなと感心してしまった?

 了,10min.

※本記事の著作権は陽太に帰属します.

陽太|自然哲学とその独自の易学を専門とする在野研究者
yohta.yingyang(at)gmail.com

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