研究の息抜きに1
連日ずーっとゴミと宝について考えていて研究ノートの整理
我ながらおかしいのかなとか思いながら必死豆炭で書いてる
ゴミと宝というと語弊があるので資本と生命と言い換えたい
ほんとうは無駄な物事・人なんてのは無いのだと今では思う
ただ資本と向き合う者と生命と向き合う者は暮らし方が反対
いわば労働者と稼動者ってのはその意味で主人か顧客に似る
ほんで研究上で分かってきたのはおそらく労働者の中心が親
親ってのは心理学的にはおそらく最大の投影対象で苦を抜く
一方で子ってのはその反対で楽を抜く者でありいわば・・・
親は正しく嫌われやすく子は虚しく好かれやすくその均衡で
◇
むかし錬金術師という今日でいう化学者が中世欧州に居たが
ゴールドを合成するために頑張ったが失敗に終わってしまい
ただゴールドに価値がある前提で合成していたから私と違い
そもそもなぜゴールドに価値があるのかに私は疑問を抱いた
そして"価値"の対義語を"実利"と呼ぶならばきっと・・・!
・・・その対極の反転が何を意味するかまで考え抜いてきた
むかし"産めよ殖やせよ"みたいなことは散々言ってきたはず
成長社会においてはゴールドに価値を置きそうしたのは正解
しかしその後の成熟社会において帰りの切符が見当たらない
なぜなら生産は群集で行われるがその反対は孤独の道だから
かつての成長社会ではネオテニーな個人の未熟性には盲目で
だがこれからの成熟社会ではそこがきっと焦点になってくる
先日スタディサプリで近未来のそんな講演をふと見入った!
内容はさておき演説の上手い講師だなと感心してしまった?
了,10min.
※本記事の著作権は陽太に帰属します.
陽太|自然哲学とその独自の易学を専門とする在野研究者
yohta.yingyang(at)gmail.com
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