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疎外感とその解釈

 ふと先日、疎外感をひさびさに覚えることがあった。今の私の暮らしのなかで疎外感を覚えることはあまりなく、所属している組織団体やその人間関係などにおいて概ね満足しているからというのもあるのだろう。この記事では「疎外感」をテーマに、そのさまざまな特徴や事例を挙げながら、詳しい解釈について書いてゆきたい。
 昔の話にはなるが、子どもの頃からどこかしら浮いたようなところのある人物だったと回想しながらも、強い疎外感を覚えていた高校時代に、私はいかに劣っているのかというような実感に苛まれて苦しんでいたこともあった。今思えば、単純に若くて精神的に未熟だったというのもあるが、結論からいえば若干騙され干されていた部分もあるかとは考える。しかし、どうも人には相性や縁というものがあるのだということが今ではなんとなく見えているので、日常において動揺することは滅多にない。それ以前に公立中学に居た私は、あの"公立小中ゆえの多様性"というものを今更になって有難く思えるのだが、高校に進学してからもっと世界が大きく広まり、自分の知らなかった価値観やものの見方などに触れられると不安とともに好奇心を躍らせていた割には、期待外れというか、寧ろそれら公立小中よりも「井の中の蛙」感が強かったのをたびたび大人になって振り返っている。いわば、古い日本のムラ社会的な体質が強くみられるクラスに所属していたのだと振り返っている。そういう旧体質な組織団体には、いじめが蔓延りやすいとも一般的にいわれるので注意も必要だ。
 その高校時代に、あるクラスメイトから「陽太だけ違うんだよ!」とか「おまえは特殊だ」と批判されたことがある(今思えばこれには少し騙しが入ってたとも考えてるが……)。また、クラス担任から「どうしてみんなと同じことをしないんだ?」というようなことを言われたことがある気がする。それで私がそこで感じていたのは、その公立小中の頃はよくもわるくも"いろいろな奴"が居たわけだが、高校に進学してから"同じような奴"ばかりにみえてしまって、なぜみんな同じなんだ?と逆質問のような疑問を抱いていた。話しを聞いてもみんな同じような考えや感じ方しかしない傾向があり、妙な違和感を覚えていた(しかし、今ではこのクラスメイトらは"日本人平均"に極めて近い価値観を持っていた人たちだと考えていて、私の方こそがその平均からかなり逸れた価値観の人物だったのだと察するようになっている。ちなみに、よくもわるくもその平均から逸れてたような人たちは退学して別の進路へ進んでいったのだが、このクラスはなぜか3~4人に1人が退学や留年をするという異常さがあった)。
 さて話を「疎外感」という内容に戻そう。その高校で修学旅行かなんだったかがあり、旅行先での自由行動時間があったのだが、クラスに仲の良い友だちのほとんど居なかった(ほとんどできなかった)私は、ひとり寂しくその街を不自由な気持ちで行動していた記憶がある。そのときに偶然、その旅先の街で別のクラスのカッコいい男性も私と同じようにひとり寂しく自由行動していたのを発見してしまった。あんなにイケメンで、私よりも圧倒的に魅力的な男性なのに、自由行動する友だちが居ないのかと意外に、そして不思議に思った。隣に学内の彼女などの異性を連れていたわけでもない。人は見た目や雰囲気によらぬものだとも考えた。彼はそのクラスで嫌われていたのだろうか?また疎まれていたのだろうか?そうでなければ、あんなにつまらなそうにひとりで自由行動をしているのにも私には説明が付かなかった。
 この高校時代、クラスメイトとの会話でよく覚えてるのは、私が話し出すとタイミングわるくチャイムが鳴ったり、だれかが会話に割り込んできたりして、私の話が中断されて有耶無耶になり無くなってしまうということだった。プライベートで大きな問題を抱えていた当時の私は、今よりもっともっと暗い性格をしていて、きっと会話相手としても魅力的に思われていなかったから、会話上の非重要人物だったのではないかと振り返る。しかし、あからさまに疎外されているわけではなかったのだが、疎外感をずっと覚え続けてきた弊害か、あまりその高校やクラスメイトなどに親しみを覚えなくなっていって、学校が終わればバイトに励んでいたり、学外の友だちを探したりしていた。その"おかげ"もあってか、学校の先生方からも実際に嫌われ疎まれる生徒になっていったようで、その学校では卒業するときに研究発表があるのだが、私の所属してたクラス学科の卒業研究ではなく、事実上にて他学科の卒業研究をやらされて卒業することになった(いわゆる当時流行り始めていた「アカデミック・ハラスメント」というやつだ)。プライベートの問題と重なって、上手くいかない学校生活にイライラしていたところが強いが、最終的には私のこころの中でこの暮らしが白紙状態になってしまい、どうでもいいなと感じるようになって卒業となった。何のために、この学校に行ったのか今でもよくわからないが、たびたび思い出す厭な記憶、トラウマチックな記憶のひとつである。

"Pattern(人間模様)"(acryl, at NIT, 2004)


 ところで一般的に、「疎外感」を覚えるときに、自分に非があると考えるのか-a 組織団体など他者に非があると考えるのか-b それともその両者のあいだの相性に問題があると考えるのか-c という視点でこの内容は考えられるところがあるらしいのだが、実際のパターンとしてはcが多いともいわれている。この疎外感への対策として、自分に非があるからそれを改善するようにしようというaのようなアドバイスをしている記事がネットサーフィンをしていて多く散見されたのだが、その組織団体などでなにかができないから疎外されるというこの構図は私はなかなか危険な思想――それはつまりいじめの発生――に繋がる考え方ではないかという気がしている。おそらくではあるが、自分に非があるから改善しようとすることは確かに"できる"ということを優先される家庭<学校<会社の領域では大切だとは考えるのだが、例えその○○ができるようになったとしても自分自身が認められるというか、自分自身が許されているというかそういうことはないのであって、それは決してこころ休まるような所属する組織団体とはいえないだろう。端的に述べて、その組織団体のメンバーに自分自身の存在が認められているか――メンバーのこころの中にわたしが居るか――ということが重要先決なのであって、初対面ではもちろん仕方のないことであろうが例え○○ができたとしても、一向に認められることのない組織団体に所属し続ける必要はないと今では断言したいのである。なんというか、その"居場所のなさ感"みたいなものを強く覚えてしまう組織団体、あるいはその人間関係において、おそらく自分自身(わたし)がそのメンバーらの"こころの中に居ない"のである。そして、所属しているのにも関わらずその状態がずっと続くというのはなにかが異常なのである(辛い話だがそのメンバーらのこころの中に居てはいけない人物だったのではないだろうか……つまり認めたくない、いや許すまじ人物だったということである)。
 このように、もしその「疎外感」を覚える、あるいは覚え続けることに悩んでいる人が居るならば、一度多面的にも多角的にも振り返って欲しい。疎外感を覚えない組織団体やその人間関係も、長年生きていれば必ずいつかどこかにはある(あった)はずなのだ。科学の世界では対照実験というものがあるが、比較するためには何か基準にしつつそれを持ってして検討してみればよい。だから疎外感においてもその比較できる経験をひとつふたつでもいいから持っていれば、その濃淡を眺め味わいつつ、視野狭窄のない奥行と幅のある把握・対策をしてゆくということも可能になるはずなのだと信じる。やはり子どもの頃は逃げ場もなかなか無いし、精神的にも未熟だから、なかなかそういった経験値もなければ辛いものがあるとは考える。しかし、歳を重ねるごとに経験値は増えてゆくものなのだから、勘違いなどから変に傷ついたり不安になって、劣等感のようなものに苛まれて、暮らしをそして健康を、いや人生を荒んだものにしてゆく必要はないだろう。そして、別にだれかを悪者にする必要もないし、単純に相性がわるかったのだ縁がなかったのだと実感できるようになれたならば、ひとつふたつ大人になってきたのだなという気がしないでもない。
 ただ、最後にこの「疎外感」というものを通していえることは、所属する組織団体やその人間関係において、心理的にだけでなく実際に物理的にも疎外されてゆくという方向に進む場合、それは決して自分の人生上において"逃げではなく卒業の方向"なのであるからに、その縁をいくら努力してつなぎとめようとしても勝手に壊れて失なってゆくとするならば、諦めろ!いや(仏教風にいえば)明らかに見極めろ!それは自分には必要のない縁だったのだと認める勇気も必要なのではないかと私は答えたい。もし、そういった過ぎ去った思い出に対して、例えば「愛すべき娑婆よ」(※関連:倉田百三 - 出家とその弟子)というようなことをこころから思えるなら、いやはやそれは本当はほんとうはおめでたいことなのだ。そして、私からは会いに往くことはできるけど、あなたからは会いに来ることはできぬ……。真の孤独とはそういうものなのだ。

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