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カップルに嫉妬した

 連日,うつ状態が続いていた私だったが,昨日の朝くらいに訳もなく軽快していった.何が原因なのか全くわからないのだけども,年に数回重めのうつ状態になるときがどうもある.
 さて,気分も軽くなったことだし日曜日の買い出しにと,近所のショッピングモールに行った.世間は連休だというのを知らなくて,家族連れやカップルがやたらと目立つ日曜日のお昼に,私はいつものように一人散歩がてら買い物に勤しんでいた.
 ……ここまでは,いつも通りの買い物である.私は独身でかつ社会的にはいまは障がい者の身分なのだろうが,家族連れやカップルをみて羨ましいなと思う反面,自分だったらストレスになるんだろうなとも考えてたりする男だ.今でも結婚したいなと思うことはあるけども,どこか本気度が足りないというか,我事としての実感は乏しい.もちろん,婚活パーティにも1度だけ顔を出したことはあるし,彼女だって人並みに持っていた.しかし,どうもいい恋愛をあまり経験できなかったなという節があるのか,心残りが若干ひどいのかも知れない.
 そんな矢先,買い物を終えてから歩道を歩いてると,前方20m先くらいを歩くアラサーくらいのカップルが"肩を組んで"何か親しげに話しながら歩いていたのを見た.その瞬間,私のなかでハートが撃ち抜かれたように,メラメラと珍しく嫉妬の念が沸き上がってきたのである.いつもならば,羨ましいな程度の念で終わっていたはずの私のハートが珍しく動揺したのである.そして,息をのんでからすかさず,あぁ私も"ああいうことしたかった"んだなと考えた.それは,男女が本当に親しく対等のパートナーとして接しあうすがたかたちを眺めながら,あぁ私もそういう男女関係築きたかったんだと改めて気づいた.
 別に,私は恋人と肩を組みたかったわけではないのかも知れない.しかし,あの肩を組みあうカップルを見ながら,そこに男女関係でもありながら,それを超越したパートナシップのような,平等でもない対等な真実をみてしまい,衝撃を受けてしまったのではないだろうか?あぁ,私のなかでひとつ理想とすることを実現している男女をみてしまったという安堵と同時に衝撃だったのではないだろうか?
 私はそんなカップルのすがたかたちをみてしまい,ひさびさに嫉妬してしまった.もちろん,その嫉妬の念はすぐに消えていったけども,未だにそのときの動揺や衝撃を思い出さずには居られない.
 自分がほんとうに欲しかったものを手に入れてる人を目の当たりにしたときの,不義嫉妬感のようなもの.そういうものをひさびさに体験できたならば,まだ私は達成してない夢があるのだ,きっと.また,まだまだそれのために生きながらえることができるとさえ今では感じてしまう.そして,それを指を咥えて眺めてるだけのような男にはなりたくないし,普段から僻み妬み嫉みなどにあふれた人種とは付き合いたくないとすら考えてる.しかし,自分の中にもそういった厭らしい念が未だに沸き起こることがあるのだなというのを知れただけで,何度も言うようにまだまだ生きながらえる理由があるのだと信じることができた.
 ……気がついたら,うつ状態も晴れてきていた.悟って無為自然に生きるなんて老子めいた日常を暮らすのも乙だろう.しかし,感情が揺れ動くそして揺さぶられるような喜怒哀楽がまだまだ見いだせるならば,自分のなかに未熟,あるいは未達の部分があるのだと知り,うつ状態なんてものに陥っている暇さえ本来ないのかも知れぬ.日常の暮らしというものには安定が求められるものだが,生きるということは何かに思考情緒感情そして本能などが揺さぶられ続けることにあるのだろう.まだ,4にたくはない.

了,15min.

※本記事の著作権は陽太に帰属します.
yohta.yingyang(at)gmail.com

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