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続・ゴッタンの謎 〜やはりもっと短かった?〜

 薩摩の民俗楽器「ゴッタン」の謎に挑む、というのは、いわば私のライフワークのひとつにもなっているのですが、

 前回の記事からすこし時間が経って、さらにわかったことが増えたので、今日はそのお話などなど。


 そもそもゴッタンは謎の楽器で、実は現代においても「荒武タミ」さんの演奏と、彼女を慕って教えを受けた人、あるいは、現地の薩摩もしくは南九州(宮崎なども含む)で、ゴッタンを何らかの形で復興させようと頑張っておられる方の「活動」においてしか、その全容はわからなくなっている、そんなところです。

 当方、いちおう別名義で歴史屋まがいのことをやっているため、その手法を用いて「文献調査」を中心に「ゴッタン」の謎を解き明かそうと思っているのですが、さらに多くの文献に目を通しても、まだまだわからないことだらけなんですね。

 まあ、どこから手をつけたらいいのか、どこに目をつければいいのか、悩みながらボチボチやっております。

 さて、そのゴッタン、本来は大工さんが家の普請の祝いなどで贈ったもの、という話もあり、ぶっちゃけ一点ものであるのが正しい可能性もあります。

 ところが、世に出回っているゴッタンの写真をずーっと並べて見ていると、バラバラのゴッタンにまじって「同じ形状のもの」が見つかることが多々あります。それもかなり古い、色の変色したオールドなゴッタンですね。

 新作だと、現在も、あるいは近年まで新作ゴッタンを作っておられた方が鹿児島・宮崎方面では2〜3人はおられるので、それらの作り手のものは、けっこう簡単に判別できます。

 ところが、古いスタイルのもので、おなじ形状のものが見つかるので、一時期どこかで量産されていたのだろうなあ、と感じていました。

 

 私の持っているゴッタンでいえば、まず左のものが「えびのゴッタン」という名前で販売されていた、えびの市の宮原良信さんの作例です。これは現代の作品で、2000年代以降のものです。

 で、問題の「古いゴッタン」が右の形状のもの。こちらもオークションなどでたまに出てきます。

 結論から言うと、これ「千年工芸」という工房で製作されたもののようで、鹿児島市鴨池町にあった屋久杉の工芸品を扱っていたお店のようです。

 おそらくは昭和年間のものばかりと思うのですが、もし現地で詳しい方がいれば教えてください。

 さて、この千年工芸さんのゴッタンを買うと、リーフレットがついてきて、それに面白いことが書いてあったそうです。

 その中身を記録がてらここに書き写しておきましょう。

『 ゴッタンの由来
 ゴッタンはゴットン ゴッタンという音から来た名前であり、ビワがビンワンと云うのと同じである。
 鹿児島県下の古い家には必ずゴッタンと十二夜待太鼓(ジンニャマッデコ)を床にそなえてあったが 現在だんだん少なくなった。
 日本の三味よりずっと短い琉球三味と同じように絃は三本とも枕(まくら)にのっている。内地三味は第一絃には枕がなくいわゆるサワリ音をだすようにしてある。ゴッタンは古い型はもっと短かったようだと古老はいう。
 琉球三味から内地三味への移行型であろう。又江戸の中期ごろから箱三味線といゝゴッタンが出来たものと思う。(久保けんお著 南日本民謡曲集より)
 本品は屋久島の長寿の銘木屋久杉の木目の美しさを生かし近代的な感覚を盛り込んで創作したものです。 千年工芸』


 ・・・おいおいおい!と、まっとうなゴッタンマニアであればちょっとびっくりするはずです。

「古い作例のゴッタンを手に入れたと思ったら”近代的な感覚を盛り込まれちゃってる”よ」

ってところですね。ツッコミどころは(笑)

 もう一度上の写真を見てほしいのですが、えびのゴッタンですら通常の三味線よりかなり短いのに、この千年工芸ゴッタンはさらに短いという特徴があります。

 それでも「現代仕様」だと当時の人が書いているわけです。

 おそらく、さらに古い作例だと「もっと短いぞ」と。

 現代の三味線は約100センチ、えびのごったんで92センチとかそのあたりです。

 私はたぶん、もともとのゴッタンは沖縄三線とおなじサイズだったと睨んでいます。二尺五寸という記述が、前回出てきたアレです。


 で、いちおう歴史屋なので、原本を引用しておきます。


南日本民謡曲集 久保けんお

 このけんおさんの撮ってきた写真をみると、たしかにゴッタン短い!

 左の沖縄三線とたしかにいい勝負の長さに見えますよね。

 昔の書籍なので見にくいですが、実は横に置いてある棒には、棹のちょうどまんなか辺にあるところに線が引いてあり「一尺」と書いてあるのです。そして、ゴッタンの首根っこあたりが「二尺」になります。なので、この写真のゴッタンこそが、探し求めていた「2尺5寸」のものということになるでしょう!!

 ついでながら、真ん中の写真にある「ヤシ三味」はちょうど2尺くらいの全長だともわかります。

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 さて、けんお氏の考察と同じく、わたくし左大文字も「ゴッタンは、琉球三味線から本州三味線への途中の楽器」であると思っています。

 けして「本州三味線が先に完成していて、その簡略版」ではない、と思うのですね。

 一般的な楽器史では、「中国三弦」(めっちゃ長い)が最初に琉球に入ってきて、「沖縄三線(短い)」が誕生し、それが本州の堺に上陸して「本州三味線」(それなりに長い)が出来ていった、ということになっています。

 本州三味線は、「短かった原型」からどんどん長くなったので、これまた途中経過である「柳川三味線」は本州三味線の中では、小ぶりで短い、というわけです。

 で、薩摩のゴッタンはどこに位置づけられるかというと、「楽器史・正史」の感覚だと「本州三味線の簡略版」みたいに思われているわけですが、たぶん事実は、「沖縄三線の木製版」というのが近いだろうと思います。

 沖縄三線 → 奄美三線 → ゴッタン

ではないか?というわけです。なので、本州三味線とは、系統分かれですね。

 さすがにゴッタンは、堺に再上陸して本州の三味線の祖先にはなれなかったとは思います。もしゴッタンが祖であれば、木製楽器がもっと増えていても良かったはずですが、やはり皮の音の良さには勝てなかったのでしょう。

 本州三味線がかたくなに皮張りを守っているのは、そこはやはり祖先が沖縄三線だったからだろうと考えます。

 というわけで、ゴッタンの謎、今回もすこーし解けました。さらなる調査をお楽しみに!!


 

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