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愛のかたち

愛を表現しようとして
わたしたちは様々なことを試してきました。

花束を渡したり
詩を書いたり
料理を作ったり

踊ったり、歌ったり
強く抱きしめたり
寝る間も惜しんで世話をしたり
お金を提供したり
結婚式やハネムーンをしてみたり。


「愛」という、形のない感情が、
わたしたちに行動を起こさせ
やがてそれが「文化」となって、

こうすると愛が伝わるはずだ、
これをされたら愛の表現だ、
と、「愛のかたち」が生まれていきました。

中には、形骸化してしまったり
意味合いが変わってきてしまったものも
あるかもしれませんが…

いつの時代も、私たちは「愛」を表現しようとして
試行錯誤してきた、そのことは事実だと思うのです。


それはきっと、生殖本能とかそういうことではなくて
伝えずにはいられないほどの「感情」、
そして表現欲求というものが、
人間性として誰しも備わっているから。
そういう風に考えています。

そんな中で私は、「美しい」という言葉も
「愛」を表現する方法の一つだったのではないか、
と考えるようになりました。

💎 

何かに美しさを感じる時、
そのものに愛しさも感じることはないでしょうか。

『誰かを「美しい」と感じた瞬間が、恋に落ちる瞬間だ』
と言った詩人もいました。

あるいは、何かに愛しさを感じる時、
同時に何ものにも代えがたい美しさを
感じられる時があると思うのです。


「愛」という言葉が見つからない時、
わたしたちは「美しい」という
言葉を使うのかもしれない。

そして、「美しい」という言葉を使う時、
わたしたちはからずとも、
愛を表現しているのかもしれない。

日々、身の回りの世界に美しさを見いだすほどに、
愛してる!と声に出したくなる私は、
その確信を強めています。

💐

何に美しさ、愛を感じるかは、人それぞれです。

現代においては、愛=恋愛という図式が
圧倒的に主流のようではありますが

(これってロマン主義が流行った
18世紀以降のことらしいです。割と最近👀!)

たとえ恋人がいなくたって
あなたに愛がない、愛に値しない
ということではありません。

私たちには、世界のすべてを愛する力
(つまり、美しさを見いだす力)があるけれど、
その対象や表現には得意・不得意がある。
そういうことだと思うのです。

恋人、家族、動物、植物、芸術…

愛を感じる対象や、その「かたち」は様々で、
すべてをマスターする必要はありません。

何かに美しさを見出し、
愛しさを感じる心があるのなら
あなたの中の愛は、無限に存在しているのです♾


だからどうか、感じる心を大切に。

あなただけの、「愛のかたち」があってもいいことを
忘れないでください。

(ただし!一方的な表現は、愛を歪めてしまうことがあるので
自分にとっての正しさが相手にとっても正しいわけではないということも
忘れないでほしいなと思います🙏)


今日も明日も、あなたの毎日が
愛と美のきらめきに満ち溢れていますように。


美的感性トレーナー 舞衣子
@stylesansdistortion


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