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サウナハットは必要ですか?

温泉に行った。

せっかく温泉に行ったのでサウナに入ってみた。

せっかくサウナに入ったので、12分時計一周するまでいてみることにした。

せっかく12分入ったからと、頑張って水風呂に肩まで浸かってみた。

せっかく水風呂にまで浸かったのならと、外気に当たってみた。

私の内なる関西人が、暑なったり寒なったり正直何がええねんとツッこんでた。そんな最中も、心臓はずっとどくどくしていて、血が身体中を巡っていた。

私が私に共感した矢先ではあるが、なんだかちょっと気分が良くなってきた。体がぱやぱやして軽くなったから多分2センチくらい浮いていたと思う。気持ちがよかった。

私は考える前にサウナ室に向かっていた。
「あ、もう一回サウナ行きたいな」と頭の思考が追いついた時にはもうサウナ室の扉に手をかけていた。

サウナ室での12分間は
なにか深いことを考えたり考えなかったりした。
くだらないことを考えたり考えなかったもした。
貸切状態だったから歌ってみたりみなかったりもした。
なんでもいいとってもいい時間だった。

サウナでも相変わらず、落ち着きなく過ごすことに慣れた頃、どうしてもサウナに適応できてない私が確実に一部分いることに気づいてしまった。
私のピンク色の髪の毛たちが、なんだか悲鳴をあげているようだった。

可哀想に。なんか保護するものあったらいいのに。
あ、サウナハットってそう言うことか。

需要と供給がここに成立していた。
まさに成立した瞬間だった。

私の周りのサウナ好きな人たちが、サウナハットについて話していたことがあって、
サウナに申し訳程度にしか入れなかった私は、そんな限定的な使用目的の帽子の意味が、それを欲しがる理由が、全く理解できなかった。

そんな私が、サウナハットを必要とする意味を持ってしまった。

ものは必要なところに生まれる。
ということは、生まれてしまったものは何かにとって必要であるということになる。
ぜひとも、そうであってくれ。
もう、そうであることにする。

そうなると、謙遜とかじゃなくてマジで、何も持たずに生まれてきたちょっと人より陽気なだけの私も必要であることにできる。

我ながらいい方程式を身をもって編み出してしまった。むふふ。また一つ、自分に都合良くなってしまった。サウナハットの話からだいぶ飛躍してしまった。


自分では買わないけど誰かにプレゼントされたら嬉しくて、使ってみたらなんだか便利で使ってくうちに愛着湧いちゃう的なポジションを狙うことにする。

そんな存在になりたいって気持ちを、外気浴の最中全身をめぐる血液の如く、体にどくどく巡らせて生活していこうと、決めてみることにする。

サウナハットは不必要ではないですもんね。

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