インドでワシも考えた・・・はずなのに
実は、タコは、インドに行ったことがある。1回だけ、仕事で。多分、仕事でなければ、行くことはなかったと思う(そもそも、タコは、あまり冒険するタイプではないのだ)。
初めて行ったインドは・・・
・・・思ったより普通だった。まあ、人間の住むところだからナ。天地が逆になってるとか、地面から「すす渡り」が噴き出してうろうろしているとか、そんなわきゃ~ないのだ。
インドといえば、道に牛がいるらしいぞ、という話だったが、大都市は、さすがに牛はいない。何しろ交通量が凄まじいので、とても牛がうろうろできる状態ではない。
でも、地方都市に行くと、普通に牛がうろうろしたり、くつろいだりしている。ちなみに、彼らは、野良牛ではないそうな。ちゃんと持ち主がいる。
実際、国のお偉いさんが来るので、「牛をしまいましょう」通達が来たら、次の日にはきれいさっぱり、通りから消えていた(そして翌日には、普通に戻ってきていた)。なんでも牛に保険もちゃんとかかっているのだとかなんとか。
宿の人によると、インドは、すごいらしい。「前に、自殺願望の日本人が来たんだ。死ぬ前にインドを見てみようと思ったんだってさ。で、ここに一週間くらいいたけど、元気になって帰って行った」
うん、分かる。何だろうね、この感じ。
インドは、地上の楽園ではないし(当たり前だ)、他のところと変わらず、問題山積だ。時々日本でも報道されて「インド・・・うげぇ」みたいに思われていたりもする。
雄大壮大な景色、というわけでもなく(場所によっては、そういうところもあるのだろうが)、人がたくさんわらわら、わらわら、右往左往、右往左往、そこへ車やらリクシャーやら牛やらもあっち行ったりこっち行ったり。
行く場所によっては、物乞いを生業にする人たちの手がわらわらと伸びてくる。知り合いにもらったアドバイスは、「全員にあげるのは、難しいから、専門を決めるといいよ。私は、ばーちゃん専門」(=相手が老婆の場合だけ施しをする)。なるほど?
確か、断る時はさっさと断れ、とも言われたような気がする(←うろ覚え)。相手は、次へ行けるからね。実際、しつこくはなかった。ほい次、ほい次。こっちがダメならあっち、あっちがダメならそっち。
そんな状況。でも。
日本にいると、なんとなく見えづらくなっている「生きる」ということ自体が、良くも悪くも感じ取りやすくは、あった。苦楽善悪有無あらゆるものが混在し、混じり合い、ぐわらぐわらと蠢いているのが、良く分かる。ただ在るから、在る・・・という感じ?いや、ちょっと違うか。
とにかく。
その時、思った。
「生きるということは、存外シンプルなんだな」
・・・思ったんだよ、思った。はっきりと思った。
なのにさ・・・帰ってきて1ヶ月もしたら、その感覚はきれいさっぱりと消えて、やっぱりぐだぐだ感満載になった。生きるって難し~~~。生きるってややこしーーー!!
まあ、でも、インドであの時得た感触は、間違っていないのだと今でも思っている。生きること自体は、本当はずっとシンプルなことなのだと。ただ、諸々で自分でややこしくしてしまっているだけなんだと。
そのまま諸々悟って行けたら立派になれたかもしれないのにねえ。まあいいや、善哉、善哉。タコなんだから、それでよし。
(終わり)
トップ画像:anaterate氏による写真。Dankeschön~~
(それにしても、自分で撮った写真、どこへ行った~~。仕事だったから、枚数少ないけど、何枚か撮ったはずなんだが)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?