父としての君に告ぐ

 昨夏、日帰りで帰省した私に、父は日曜大工のようにいくつかの用事を言い付けた。姪の宿題を実父母に代わり手伝うことと、夕飯の給食当番、もう一つは地元盆行事における町内会の助っ人だった。

 彼は職場勇退後、地元盛岡に隠居の身となったのだが、実際は縁側で茶をすすっているのではなく、家の廊下で銃を構えている。昔取った杵柄で、射撃選手の育成に携わる。老体を酷使して。

 その父親から、簡単に言うと戒名を書く仕事を仰せつかったのである。先祖菩提寺の山門近くに陣取り、地域の方々から送り出す父祖の名といくばくかの布施を受け取る。徹夜明け、弾丸帰省の流れでそのまま老兵からのクエストをこなす。夏休みの宿題を渋々こなす姪を監督しながら。

 正直言いたいことは山ほどあったが、この状況を客観視した時に、父親はこの画を生きているうちに見たかったのだろう、父としての役割を全うしたという証文を得たかったのではなかったかという結論にたどり着き、彼の命ずるまま願うままに依頼をこなして帰ってきた。

 その一件の更に前の五月。兄が私に十数秒の動画を見せてくれた。兄は単身赴任で年頃かわいい娘の成長を観察できない身なので、ここぞとばかりに既婚と独身の差を見せつける。姪が公園の遊具に苦戦している単純な画だった。ただ一点、その遊具が三十年前我々兄弟が同様に苦戦したそれであったことを除いて。小学校低学年の身の丈三倍はあるかぐらい、滑り易い材質でできたそれに、姪は何度も挑戦するのだが、兄と私はそれを笑って観られない。

 「やっぱり娘がかわいくてな。」

 激務により、決まった時間に頭痛に苦しむ、兄の覚悟の一言を聞いた。

 残念ながら思い通りにいく人生はなく、人間は取捨選択と後悔と未練でその人生を象る。ならば分岐点と罪と切り捨てた未来を人生のスパイスとして生きていくよりほかない。カレーを作るのに鍋の大きさと盛り付ける皿の形状は決まっていて、食べる手段も決められている。人間だけが歴史から学び、人間だけが歴史から学ぶことができない。だからこそ、故にせめて、他者を幸福にするスパイスを、他者を想う調合を。

 皿の上だけが自由なのだから。

#ショートショート #カレー #3298


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