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シルク絨毯とはそもそもなんだ?−素材の謎を知る−


◇プロローグ・謎多きシルク


今年いっぱいまで三方舎の猪苗代店舗にて勤務している私は、ディスプレイの勉強にと時折書斎ギャラリーを訪れる。先日も訪れたのだが、10日から始まったイベント「くらしめぐり」(https://kurashinban.com)の準備の真っ只中だった。

ギャラリーの母家と離れにそれぞれ美しい絨毯が展示されていた。母家にはペルシャ絨毯、離れにはアラベスク絨毯というふうに。

ここで、秋の大絨毯展(猪苗代の店舗で開催)の時に出会って忘れられなくなってしまったペルシャ絨毯と再会した。再び、わざとたわませて輝きや変化する色の濃淡を楽しんだ。

(↓以下、シルクの輝きがよく分かる動画)

今回はなんと、その時に出会った絨毯とは一回り大きいサイズの同じデザインのペルシャ絨毯にも出会えた。

前にも紹介したがペルシャ絨毯にはギャッベと違いデザイン図が存在する。(ブログ「ペルシャ絨毯」https://note.com/sanpousha/n/nd3a3b5b8298a)それを専門とする職人さんがいるからだ。そしてデザイン図があるから同じ文様の絨毯を作ることができる。そしてサイズも変えることができる。

前に見たときより大きくなった「海の水面のような」絨毯に吸い込まれるように見入ってしまったのだが、ここでふとした疑問が浮かび上がる。

「絨毯によってシルクにも太さはあるのだろうか?」

すぐ近くで展示作業をしていた代表に質問をしたところ、ある、とのこと。どんなときにその違いは生まれるのだろう?と続けて思ったが、それ以上は自分で調べることにした。

今回のブログでは、ペルシャ絨毯の代表的な素材であるシルクについて少し掘り下げていこうと思う。

◇シルクとはそもそも何?


シルク=絹は蚕の繭から作られる。蚕がサナギになる際に体内から吐き出すタンパク質が原料。昭和生まれの人なら小学校時代にクラスで1度は蚕を飼い実物を見たことがあると思うが、大きな白い芋虫のような幼虫である。

さてそんな幼虫が、体内のタンパク質で自分の体を包み込み羽化すると真っ白な蛾になる。その前の段階の繭状態の時にお湯で煮て柔らかくして繭糸を取り出す。

一本が0.01mmと非常に細いため絹糸は何本も撚り合わせて作るが、日本人女性の平均的な髪の太さが0.08mmといわれていることを思うとその細さの異常さに気付かされる。

蚕が糸を吐き始めた様子。所々途切れているように見えるほど細い。

シルクと人の肌には共通する成分があり、それがシルクを心地いいと感じる理由にもなっている。その成分はタンパク質。人の肌は水に次いでタンパク質が主な成分でだからこそ、「自分の肌に感覚が近いからシルクは心地いい」と感じるそうだ。

◇シルクのはじまり
シルクは紀元前3000年〜2000年頃の中国で発祥し、それがシルクロードを通って世界へ広まった。世界の四大文明の一つである中国文明の甲骨文字にすでに「絹」や「蚕」が記されており、文明の始まりからシルクがあったことには凄いとしか言いようがない。

ちなみにさらにその前からあったのが、前回のブログで紹介したペルシャ絨毯の始まりの羊毛を素材とした「パジリク絨毯」である。つまり羊毛を糸にしたものの方が世界史に早く登場している。羊毛についてはいずれブログでまとめるのでお楽しみに。

製糸の始まりは、古代中国の神話伝説に出てくる黄帝の妃である西稜という人がシルクの製糸技術を発案・確立されたといわれる説や、皇女が遊んでいた際に偶然蚕の繭を湯に落とし拾い上げた際に偶然糸が生まれた、など諸説ある。

これらの説から分かるのは、いずれも皇族の女性がシルクの発祥に関わっていたことだ。発祥が皇族に関係あること自体が、シルクの価値を上げているようにも見える。

中国で生まれたシルクは、紀元前2世紀から18世紀にシルクロードを通って世界へ広まった。交易自体は紀元前350年頃から始まっており、合算すると約2000年以上世界の経済を発展を支えた。現在は中国のシルクロードの一部が世界遺産に登録されている。

余談だが、シルクの世界価値がよく分かる世界史がある。アヘン戦争だ。6世紀ごろからヨーロッパ各地でシルクが生産されたが、中国と貿易関係にあったイギリスが自国生産に失敗する。シルクの発祥国である中国から輸入を続けたイギリスは貿易赤字が膨らみ、その穴埋めとしてアヘンを中国へ輸出。中国国内にアヘンが蔓延したことから結果的にアヘン戦争が起こるという恐ろしい歴史を生んだ。

美しく価値が高いものは経済の要となり、争いの火種にもなる。
それを左右するのはもちろん私たち「人」で、美しいものの価値を汚さないでいることは、人間が人間たり得ることそのもののような気がする。

黄金に輝くシルクのペルシャ絨毯


◇シルクとペルシャ絨毯


さて、ここまでシルクそのものについてまとめてきた。ここからペルシャ絨毯とシルクの関係について掘り下げていこうと思う。

現在、三方舎書斎ギャラリーで見ることのできる総シルクのペルシャ絨毯。光の角度によって色の濃淡や輝きが変化する美しい絨毯だが、史上初の総シルクのペルシャ絨毯はいつ生まれたのか。それについて触れた記述を色々探したが力及ばず見つけることができなかった。

ただ、紀元前4000〜5000年にパジリク絨毯が誕生しており、その後紀元前3000〜2000年あたりにシルクが中国で誕生し世界に広まっていったのであれば、既に絨毯が織られていた地域にシルクが伝わり織られ始めた可能性はある。

また、ペルシャ絨毯の産地イランで絨毯作りが最盛期を迎えたのが16世紀のサファヴィー朝からであり、この時代に金糸を使った絹の絨毯が制作され周辺の王朝に影響を与えた歴史があるので、この時代辺りには総シルクのペルシャ絨毯があったと考えるのが妥当かと思う。

もしこのブログを読んでいる方の中で歴史上初の総シルクペルシャ絨毯をご存知の方がおられたら、ぜひ教えてほしい。

また、絨毯のサイズによってシルクの太さが変わるのかという冒頭の問いの答えも見つからなかった。糸の太さが変われば絨毯のノット数も変わり絨毯自体のランクが変わるから結構気になる項目かと思うのだが。

若干消化不良な感じはあるが、こんな風に新しい問を見つけられること自体が楽しいので、追々それを探していこうと思う。

◇エピローグ・歳月を経たシルク
 


ここまで書いてきて「確か自分もシルクのものを持ってたぞ?」とふと気づいた。
シルクのチャイナドレスだ。

22年前に北京で購入したシルクのチャイナドレス。
裏地がついているからなのか、はたまた綿混合なのか、若干硬い感じがする。


10代最後の年に北京へ4ヶ月ほど留学をした。そのときの中国はまだ若干発展途上で、物価も日本に比べ大分安かった。その翌年、まだ北京にいた頃に初の北京オリンピックの開催が決定し街全体が沸き立っていた。

そんな空気の中「留学の記念に」とオーダーメイドでチャイナドレスを作った。今回シルクの記事を作成するにあたりそのチャイナドレスを10年以上ぶりに触れてみた。

心底驚いたのだが、生地全体がしなやかでどこもほつれていない。色も艶やかで美しい。もちろん虫食いもない。

ほつれのなさから職人さんの技術を思う


単純に凄いと思った。

22年前の中国といったら紛い物がまだ溢れていた時代だった。シルクと謳っていても本当のところは分からなかったし、当時の自分も本物かどうかは正直気にしていなかったと思う。

しかし時を経た今、当時と遜色のないチャイナドレスを目の当たりにして、その美しさに感動し、絹糸を作った職人さん達、生地を仕立てた職人さんたち、縫製した職人さんたち、チャイナドレスが生まれた背景に想いを馳せている。

永く変わらないものを持つということは、自分の中に軸を持つようなものなのかもしれない。それを持つことで、変化していく時間の流れを心の中に一つ一つ記憶していける。それを見ることが「自分を見る」ことそのものなのだと思う。

自分を見ることは人としての有り様を見ること。
だからこそ、「本物」の道具を持った暮らしが大切なのだ。


12/10-25 イベント「くらしめぐり



ペルシャ絨毯やアラベスク絨毯などの新入荷品をご紹介します。

参考文献/参照サイト
・著作:(2018)「絨毯で辿るシルクロード」
・webサイト:つくるパジャマ 
https://www.tsukurupajama.jp/fs/tsukurupajama/c/pajamapedianaturalfibersilk 
・webサイト:Mayui
https://www.suteteko.net/mayui/column/シルクの歴史とは?意外と知らないシルクが生ま/
・webサイト:東京都クリーニング生活衛生同業組合
https://www.tokyo929.or.jp/column/fiber/post_158.php
・webサイト:花王株式会社ヘアケアサイト
https://www.kao.com/jp/haircare/hair/1-7/


執筆者/学芸員 尾崎美幸(三方舎)
《略歴》
新潟国際情報大学卒
京都造形芸術大学通信教育学部卒
写真家として活動
2007年 東京自由が丘のギャラリーにて「この素晴らしき世界展」出品
2012年 個展 よりそい 新潟西区
2018年 個展 ギャラリーHaRu 高知市
2019年 個展 ギャラリー喫茶556 四万十町
アートギャラリーのらごや(新潟市北区)
T-Base-Life(新潟市中央区) など様々なギャラリーでの展示多数
その他
・新潟市西区自治協議会 
写真家の活動とは別に執筆活動や地域づくりの活動に多数参加。
地域紹介を目的とした冊子「まちめぐり」に撮影で参加。
NPOにて執筆活動
2019年より新たに活動の場を広げるべく三方舎入社販売やギャラリーのキュレーターを主な仕事とする。

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