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はじまりの絨毯−手織り絨毯の起源・ペルシャ絨毯−


◇プロローグ・忘れられないペルシャ絨毯との出会い



去る2022年11月、三方舎の店舗の一つであるRoots Lifestyle Shopにて年に2回の恒例イベント「秋の大絨毯展」で、3日間の期間限定で2枚のペルシャ絨毯がお目見えした。

1枚は全てがシルク(うちの代表は総シルクと言っていた)で織られたもの、もう1枚は、ベースはウールで所々にフラワーシルクが施されたものである。

このブログの筆者(私)が絨毯に本格的に触れるようになって4年。ペルシャ絨毯にしっかりと触れるのはこれが2回目。正直、まだ素人感覚が抜けない私は「世界最高峰」の絨毯を販売する機会に実感が追いつかなかった。

2枚のペルシャ絨毯の説明はするものの、耐用年数や経年変化など素材の詳しいことや、絨毯が作られた環境であるとか、絨毯1枚1枚が持つ背景(人生のように「絨毯生」と言ってもいいかもしれない)を感覚として落とし込めないまま展示期間を終えてしまったのである。

そんな状況の中でも、1枚のペルシャ絨毯が自分の心の中に大きく残っている。
それは、中央に細かな装飾の円の模様を囲むように青色が織り込まれた総シルクのペルシャ絨毯だ。

絨毯は毛の流れによって、1枚の中に滑らかな手触りとつっかえる感覚の手触りの2種類がある。それがこの総シルクにはほぼ感じられなかった。さらに絨毯を見る角度によってこの青い部分が、浅瀬の水の色に見えたり深海の色に見えたりと変化した。
そしてその上には、たわませることによって生まれる輝きがあった。この輝きが、水面を照らす太陽の光に見えた。
糸の平面でありながら、その先には別の物体(例えば海とか)がある立体的な世界が存在したように見えたことに感動した。

三方舎のオリジナルブランド・GOSHIMA絨毯やギャッベも、その存在の中には「暮らしの道具」だけにとどまらない意味がある。それはデザイン一つ一つに込められた意味であったり、使う人の未来であったり。

現時点では、ペルシャ絨毯は私にとって「感動した絨毯」で止まっている。しかしきっとペルシャ絨毯にもGOSHIMA絨毯やギャッベと同じく、文様に込められた意味や、未来を感じさせるものがあるはず。

前置きが長くなったが、12月10日から三方舎書斎ギャラリーで始まるペルシャ絨毯展に向け、改めてその意味を探っていこうと思う。


◇そもそもペルシャ絨毯とは?


そもそもペルシャ絨毯とはなんだろうか。最高級といわれているが、何がそう言わせているのだろう?

その一つに素材がある。

「最高級のウールとシルク」だけを使って作られている。さらに、それを経験豊かな職人が熟練した技術で織った緻密な絨毯であることが理由だ。中央アジア・中東を中心として手織絨毯は世界に数え切れないほどの種類が存在しているが、ペルシャ絨毯はそれをさらに高みに上げた宝石のようなものなのだと思う。

同じ国の絨毯・ギャッベのようにほぼ全ての制作を1人が全て行うのではなく、それぞれの工程に職人(責任者ともいえるかもしれない)を置いた工場制手工業の形態。専門職がそれぞれの仕事をしているので全体的にレベル高い。高いなんてもんじゃない。それぞれの職人が技術を極めた他に比べようのない専門性があるからこそ、ペルシャ絨毯が世界最高峰といわれる理由がある。

デザインを作る
デザインに着色をする
デザイン図を元に織る

ちなみにペルシャ絨毯は全てが手織りされる。ペルシャ特有の細かな文様は細い指の女性(稀に男性もいるそう)しか織れず、成人前の若い世代にほぼ限定される。

若いうちにあの美しい文様を織る技術を習得しなければならないなんて、一体どれほどの努力をイランの織子さん達はするのだろう?自分の想像の範疇を超えて目眩がしてきた。


それぞれの専門職人の手によって完成する緻密なデザインの絨毯

デザインは、中心部に大きな模様を持つメダリオン、同じ柄が全体一面に広がっているオールオーバー、一方向に柄が描かれているメヘラブ、絵画調のデザインが特徴的なピクチャ、の4つにほぼ分類される。

その中は、細かなアラベスク文様や蔓草を表したイスリム紋様・花瓶文様などで構成されることもある。
織り目の細かさを表すノット数(1平方メートル中の織り目の数)が110万個以上は高級絨毯の部類に入る。ペルシャ絨毯以外の絨毯、例えば同じ国で作られるギャッベはランクの高いものでも20万~30万ノット。
単純に考えても、5~6倍の緻密さで織られているペルシャ絨毯。デザインの美しさと耐久性、稀に制作に10年かかることもある織子さんの日当にも差が出る。このことから、ギャッベと価格の差に納得できる。


ギャッベのルリバフトの裏面を確認すると1㎠の中に45個の結び目(ノット)がある。
1.4mx2mの絨毯の場合、このノット数で126万ノットになり高級絨毯の判断基準となる110万ノットを超える。つまりこの絨毯は高級絨毯に入る。

そんな職人さん達に支えられ、ペルシャ絨毯は保護され発展し現在に至る。
ギャッベでもお馴染みだが、天然素材で作られるペルシャ絨毯も耐久性はほぼ同じ。人と同じで絨毯にも個性や体力の違いはあるので一概には言い切れないが、80年〜100年は綺麗に使えることはこれまでの歴史が証明している。

ではペルシャ絨毯にはどんな歴史が潜んでいるのか?

ペルシャ絨毯の始まりは諸説あり、一般的に浸透しているのは4000年~5000年前に織られた「パジリク絨毯」という絨毯である。名前はシベリアのアルタイ山脈中パジリク渓谷にあるスキタイ王族古墳から1949年に発掘されたことに由来している。騎馬人物像やダマジカ、空想上の動物グリュップス(ギリシャ神話で、頭と翼は鷲・胴はライオンの形)などの模様がトルコ結びで織られていたそう。

織られている模様が「いかにも王族」のもののようで微笑ましい。

パジリク絨毯の素材は羊毛とラクダの毛。発見された場所が凍結状態だったことから一部が残り発見されたようだ。もしその場所になかったら絨毯の始まりはもっと後の時代になっていたのだと思うと歴史の妙を感じずにはいられず、その妙に悶えるほどのロマンを感じてしまう。

余談だがこのパジリク絨毯が織られたと考えられるのが「ペルシア帝国」時代にあたる。

現在のインダス川〜エジプトにかけて世界を支配した国で、その時代のどの国よりも美術工芸品を足掛かりに国を発展させた。地位の高い人が積極的に世界の美術品を集め保護を推奨したことで、国全体の文化水準の基礎が作られたと考えられる。

後に記述が出てくるが、ペルシャ絨毯が黄金期を迎えるのはこの時代より1000年以上も先である。その長い長い時間をかけてペルシャ絨毯は発展を続けてきた。

気が遠くなるほどの遙昔、世界の人々の「美」を集めた場所で産声を上げたペルシャ絨毯は、いわば「人の手によって作られる美の原点」だ。

話が脱線したが、この歴史から絨毯の生まれた目的は、今のように暮らしの道具ではなく地位の高い人の装飾の意味だったことが分かる。

ペルシャ絨毯は7世紀には当時のペルシャ(現在のイラン)の宗教・ゾロアスター教と結びつき、デザインや文様にはその思想が反映されたといわれている。

余談になるが、ゾロアスター教は空気、水、火、地の4つを「神聖な元素」としており、自然の恵を元に命名された当社のGOSHIMA絨毯に通づるものを感じる。21世紀、小さな島国の隅っこで生まれた絨毯は世界の始まりと繋がっている。


16世紀に入り、サファヴィー朝が隆盛した時代にペルシャ絨毯は黄金期を迎える。
この時代は建築・絵画など芸術文化の面が著しく発展し、絨毯だけでなく暮らしの水準が押し上げられた時代と考えられる。

この時、現在にその名を轟かすペルシャ絨毯の産地「イスファハン」「クム」「ナイン」「タブリーズ」「カシャーン」などが磐石なものとなった。今日のペルシャ絨毯のデザインは、この時代の宮廷画家がデザインしたものが元とされている。

さて、そんな歴史を持つペルシャ絨毯が日本に伝わったのは17世紀〜18世紀。江戸時代の頃だ。

当時は将軍や大名への献上品として使われたとされるが、それについての記述が『平戸オランダ商館の日記』に残されている。

が、さらに興味深いのが、その前からペルシャ絨毯の産地であるイスファハンあるいはカシャーンの宮廷所縁の工房で製作されたと推測されるキリムが、江戸時代の前、安土桃山時代の関白・豊臣秀吉が陣羽織として着用していたと伝えられている。

豊臣秀吉の着用していたキリムの陣羽織の一部

日本とペルシャしか取り上げていない中で恐縮だが、ペルシャ絨毯はいつの時代のどこの国でも、権力者が権威を示すものとして使われたのが興味深い。美しいものを権力の象徴とするのは、やはり人間の生まれ持った性なのか。

秀吉や江戸時代の大名とそんな関係のあるペルシャ絨毯だが、他にも寺院との繋がりが指摘されている。

まずは正倉院。ここに保存されている宝物の中に、「獣毛に湿気と熱・圧力を加えて作ったフェルト状の敷物」があった。何点か保存されているが、そのいずれにも唐草を表した大唐花紋や花喰鳥などの紋様が施されている。まさにペルシャ絨毯!

次に東大寺のお水取り。仏の前で罪過を懺悔することを目的とした行事で毎年行われる行事。詳細は割愛するが、お水取りの由来となった「遠敷明神説話」とイランの建国神話が酷似しているといわれている。

飛鳥時代にはすでに日本に来ていたペルシャ人からイランの建国神話が伝えられ、遠敷明神説話に形を変えたという説もあり、日本とペルシャの繋がりが推測できる。

最後に神宮寺のお水送りとの関係を紹介する。
お水送りは行事を執り行う住職が白装束に身を包み口もとを白布で覆った格好をする。これが、ペルシャ絨毯の黎明期に関わったゾロアスター教の祭司の姿に酷似しているという。お水送りで火や水を神聖なものとして拝することも自然を「神聖な元素」と捉えたゾロアスター教に通づるものがある。

歴史・文化・宗教、一つ一つの要素を紐解いていくと、ペルシャ絨毯に関するものが日本の様々なものに関連づけられていることに驚く。

余談だが、三方舎の本社がある新潟県にも同じような装束で行う越後浦佐裸押合大祭がある。有名・無名、規模や目的は違うが全国にゾロアスター教に通づる祭りがあるかも知れないと思うと、ペルシャ絨毯を通して日本の始まりという点にも目が向くのは興味深い。

また、そういう視点を持つと、私たちの暮らしの至る所に世界の歴史が潜んでいて、それを探すことは実は日常の中でできる、新しい冒険のようでワクワクする。


◇エピローグ実際にペルシャ絨毯を見にいこう!



長々と書いてしまったペルシャ絨毯のブログだが、これを読む方が多少なりと興味を持って「実際に見てみたい」と思ってくれたら心から嬉しい。

そしてそんな方に向けて当社の書斎ギャラリーで12/10(土)から始まるペルシャ絨毯展をお勧めしたい。

世界の文化の歴史、発展の一端を担ってきたペルシャ絨毯。使えば使うほど美しく成長する姿とは裏腹に、元々の美しさから権力の象徴として扱われることが多かったペルシャ絨毯。
絨毯の持つ価値により美術館のコレクションとなることもしばしばあるペルシャ絨毯。

それが、自分の手に触れられる場所で見ることができるのがこの展示会である。

実際に触れて、紋様から織子さんの指先の軌跡を感じ、その先にある制作工房を想像し、工房にいる職人さんの仕事や熱情を思い、自分の暮らしや環境と重ね合わせたりして違いを楽しみ、この絨毯を作ることそのものに目を向けてもらえたらと願う。


文中で少しだけ触れたが、美しいものは権力と結びつく。これは人間の性。
語弊があるかもしれないが、権力を持つということは言い換えれば「豊かな暮らし」ができることでもあり、さらに言い換えれば、今はそうではなくても、美しい絨毯を持つことで豊かな暮らしをする原動力を生むことにつながる。
実質的に持たなくても、絨毯の美しさに含まれるあらゆることを心に取り込むことで、心身ともに未来の自分の暮らしを豊かにしてくれると信じている。
(了)


12/10-25 イベント「くらしめぐり


ペルシャ絨毯やアラベスク絨毯などの新入荷品をご紹介します。


参考文献/参照サイト
・著作:(2018)「絨毯で辿るシルクロード」
・webサイト:世界史の窓 https://www.y-history.net/appendix/wh0101-103.html

執筆者/学芸員 尾崎美幸(三方舎)
《略歴》
新潟国際情報大学卒
京都造形芸術大学通信教育学部卒
写真家として活動
2007年 東京自由が丘のギャラリーにて「この素晴らしき世界展」出品
2012年 個展 よりそい 新潟西区
2018年 個展 ギャラリーHaRu 高知市
2019年 個展 ギャラリー喫茶556 四万十町
アートギャラリーのらごや(新潟市北区)
T-Base-Life(新潟市中央区) など様々なギャラリーでの展示多数
その他
・新潟市西区自治協議会 
写真家の活動とは別に執筆活動や地域づくりの活動に多数参加。
地域紹介を目的とした冊子「まちめぐり」に撮影で参加。
NPOにて執筆活動
2019年より新たに活動の場を広げるべく三方舎入社販売やギャラリーのキュレーターを主な仕事とする。

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