多賀大社 井伊家ゆかりの寺社巡り 第十番
アマテラスの親神様
多くの崇敬を集める多賀大社。
初詣には例年40~50万人が訪れます。
私も毎年お参りしています。
お多賀さんでおみくじを引かないと、1年が始まらないのです(笑)
ご祭神はイザナギ・イザナミの二柱。
アマテラスオオミカミの親神様です。
「延命長寿・縁結び」の神様として、古くから信仰を集めています。
広い境内には神馬舎もあります。
昭和四十二年までは、実際の馬が繋がれていたようです。
こちらは毎年8月に開催される、万灯祭の様子。
広い境内には全国から寄進された、1万余の提灯に明かりが灯されます。
黄泉の国の神となったイザナミに、感謝を捧げるお祭りです。
武将たちの崇敬を集めた多賀大社
鳥居をくぐると、石造りの「太閤橋」が見えてきます。
豊臣秀吉は、母の病気平癒を祈願した際に米一万石を寄進し、この太閤橋と奥書院などが築造されたと伝わっています。
江戸時代に入ると、幕府や井伊家から厚い加護を受けていました。
社殿前には井伊直興が奉納した、青銅の燈篭があります。
また武田信玄の厄除け祈願文や、上杉謙信の家臣からの祈願御礼の文書なども残されており、多くの武将からも崇敬を集めたようです。
幕末の彦根藩と多賀大社
今まで見過ごしていましたが、境内の端にあるこちらの蔵は、幕末の彦根藩と大いに関係があったようです。
多賀大社の大祢宜 車戸宗功は「桜田門外の変」の後、長州藩士伊藤俊介(博文)ら勤王方と彦根藩老の仲介に奔走した人物で、邸内にあったこの文庫で長州や土佐の志士らと密議を行ったようです。
神職の方が、幕末の彦根藩の動向に深く関わっていたことに驚きです。
よく知っていたはずの多賀大社ですが、広い境内をゆっくり見て回ることで、隠れた史実を知ることができました。
「第十番 多賀大社」はここまでです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
次は「第十一番 金毘羅宮 慈眼寺」です。
memo
住所 滋賀県犬上郡多賀町多賀604
拝観自由
拝観時間 9:00~16:00