見出し画像

2022年11月22日

9時起床。本日は夜勤。彼女が出かけるのを見送り洗濯をする。猫に餌をやるが今日はあまり食いつかない。お湯を入れてやるとよく飲んでいる。実によろしい。今日は午後出社にしては早く起きたので洗濯物を干し終えると再び布団に横になる。ごろごろしながら昨日の読みかけの志賀直哉著『流行感冒』を読み終える。

今週末我孫子の旧志賀邸を訪れる予定なので、それまでにどうしても読みたかった。
志賀作品において登場する主人公の男は大抵自覚的な暴君や癇癪持ちのイメージがあったがこの短編においては思いの外柔和な印象を受けた。これが書かれたのが大正八年、志賀の転機となった『和解』が書かれたのが大正六年と考えると志賀の中であった父への反抗というものも一つ区切りがついて自信の中でまだある種の安寧のようなものがあった時期なのだろう。
この作品に出てくる石という女中は私によく似ていて普段は大して働かないが、大変な時にはよく働き、素知らぬ顔で嘘をつき、責められた時には落ち込むがすぐに忘れる。全く困った性格ではあるが、皆がダメになった時に当然のようによく働ける存在。アリの集団でも何割かはあまり働かないのがいるそうで、そうしたものがピンチの時に周りの代わりに働くらしい。人間もそうなのだろう。疎ましく思っていたとしても皆がだめになったときによく働けば印象として悪くはならない。志賀はこの短編でこうした言葉を残している。

新潮文庫 小僧の神様・城崎にて 志賀直哉著 110ページより引用

『何しろ関係が充分でないと、いい人同士でもお互に悪く思うし、それが充分だといい加減悪い人間でも憎めなくなる』

人間は社会的な生き物であり、何より関係性に感情が左右されるということを志賀はよくわかっていたのだ。

あまり普段は何だが仕事もできないし、やる気もなさそうだ。集団にとって排除するのも忍びないがいなくても問題がないのではないか?という存在がいなければ集団は成り立たないということをこの短編から学べなくもない。しかし、話はきっともう少し単純で志賀はそうした存在を好ましく思っていたように思う。志賀の小説には癇癪を起こしたり、他人にいらぬ疑いを抱いたり、理屈ではなく感情で理不尽な言動をする人物がよく登場する。けれど志賀はそうした人物が取り繕う様は全くと言っていいほど描かない。『私は癇癪を起こしたが、それを悪いと思った。しかし私はどうしてと我慢ならなかったのだ』というような意味合いの潔い感情の動きをただそのままに書き記している。周りにいれば困ったものだが、志賀は人間はそんなできた存在ではないとよくわかっていたのだ。彼が一番そうだったのかもしれないが。

そんなことを考えながら短編を読み終え、通院のために整形外科へ、診察してもらうとこれでおしまいとのこと。あとは経過観察して問題なければ来なくと良いといわれた。

思えば足を怪我して日記をつけ始めたので、いいきっかけになったのではないかと治った今では思っている。もう二度と怪我はしたくないが。

昼食は近所のハンバーグ屋に久々に行った。平日ということもあり、人はおらず幾分のんびりと食べれたので満足。夜勤のためにコンビニで夜食を買い込み家に戻ってシャワーを浴びる。2時間ほど仮眠してから出社。家を出るとき猫が今日は見送りに来た。顔を覗き込むと私の鼻に向かって体を押しつけてくる。可愛らしいものだ。
元気をもらい、明日帰ってきたら美味い物を食わしてやろうと思った。

本日仕事は特段変わりなくこの時間まで何の問題もない。ただ夜勤に入る前のミーティングのような時間に好きな音楽の話題になりマハラージャンを紹介する仕方を間違って女性陣から気持ち悪がられたくらいだ。別れた女の歯ブラシで便器を磨くのはやはり気持ち悪いよな、と思った。というか私はなんでそんな紹介の仕方をしてしまったのだろう。間違ってはいないが……もっと別の紹介の仕方があったように思う。根が気持ちの悪いオタクなので趣味の話になると変に語り出しそうになり変な空気にしてしまうことを恐れて変な短い説明をして変な空気にしてしまう。辛い。

人と話すときに考えすぎるのが私の悪い癖だ。さらっと言ってしまえばいいものを変にぼやかすからよくない。わかってはいてやってしまう。久々に小学生の頃林間合宿で同級生の寝息の分類分けをしてそれぞれに特色があって面白い!といったらキモがられたことを思い出した。
純粋な好奇心からだったのだが、まともな人間は人間のそうした生態を特に自分を他者に観察されることを快く思わないらしい。その辺の感覚が人と違うのではないかという恐怖から私のコミュニケーション不全は発生している。

辛い。もうこの話はよそう。私はそんなことで気持ちをざわつかせながらも何とか仕事に集中することで気持ちを立て直し(おそらく変なテンションではあったが)今仕事をひと段落させてこのブログを書いている。

日付を跨いだらもう少し忙しくなるだろう。私が今日思ったことは、瞬発的なコミュニケーションはとても気持ちが悪いということだ。人間は関係性を気付いてこそ人間たり得るのだ。そうだ!そうだ!今日の夜勤のパートナーが割と好みな見た目で挙動不審になっている自分を棚に上げて私はそのように宣ってみる。人を見た目で判断するのは誠に良くない。まずはよく誰にでも嫌いだと思われる人間とも話してみることである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?