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旅のスケッチ 水上の町

初めてそこを訪れたとき、地球上で一番素朴で、美しいところだと思った。

フィリピンの青年海外協力隊員だったとき、ときどきこっそり訪れていたのがここ、スリガオ州の小さな集落だった。

なんでこっそりかというと、当時(たぶん今も)ミンダナオ島はイスラム過激派の活動がさかんで、特に山間部を隊員が訪れることは禁止されていたのだけれど、私がいるダバオ州はミンダナオ島南端にありスリガオ州は北端にあるため、通常なら空路でいかないといけないところ、航空券はもちろん高いのでバスで行かざるを得ず、禁止されていた山間部を通って行っていたからだ。

スリガオには同期の隊員の、りかちゃんがいた。任地は海に囲まれた水の上の町で、電気はあるけれど毎日のように停電し、水道もない町だった。貧しい村の人々は、土地がないので海の上に家を建てて暮らしているということだった。

赴任当初こそ、何もない場所で孤立奮闘していたりかちゃんだけれど、借りれるアパートもない村で水上に自分が住む家を建ててもらい、暮らし始めてからは仕事もだんだんと軌道に乗って、いかにもな協力隊員暮らしを満喫しているという。百聞は一見にしかず。連休に遊びに行かせてもらうことにした。

ダバオからバスで丸一日揺られてスリガオのバスステーションへ。そこからはハバル・ハバルと呼ばれるバイクタクシーに乗っていくのだけれど、この時はりかちゃんがバイクで迎えに来て、後ろに乗せてくれた。緑の半島をいくつか越えて村へ。

小さな集落へ下っていくと、バスケットボールのコートに屋根のかかった広場があり、その先のメインストリートが木造の橋だった。この大きな橋はこの村のシンボルのような存在で、となりの小さな島へとつながっているのだけれど、下を船が通り抜けられるように橋脚が高い。漁師が多く、船は村の人たちの足代わり。りかちゃんの仕事もこの貧しい漁村が暮らしていけるようにサポートするというものだったのだけれど、私にとっては貧しいどころか素晴らしく豊かな村に見えた。少なくとも風景という意味においては。

村のメインストリートである木造橋

大きな橋を渡ってから小さな桟橋に沿って歩いたところにりかちゃんの家は建っていた。桟橋から木の橋を渡り玄関へ。家の基礎は海の中に突き刺さった木製の杭で、家は完全に海の上にあった。

Rika's house

6畳ほどの部屋の隅にキッチンがあり、物置きのように使える小さな部屋もある。裏口から出ると水浴び部屋とトイレ。台所のシンクから落ちる水も、トイレでしたものも、下の海の中へダイレクトに流れ込む。トイレに入る前には下の海からバケツで水を汲んでおいて、これでブツを流す仕組みで、直接なにかがぷかぷか浮いていることはなかったものの、木の床の隙間から下を覗くと、魚が集まってきていた。

水道はないので、屋根に降った雨水を貯められるタンクがついていて、それで水浴びや食器洗いをする。足りなくなれば、船で少し行ったところにある水汲み場から水を汲んでこなければいけないのだけれど、これはタンク一つ5ペソくらいでやってくれる人がいる。

家の裏側にはしばらくするとテラスが増築された。テラスの向こうには一面マングローブの茂る海が広がっている。ここで魚を捌いて干物を作らせてもらったこともあったっけ。失敗してすぐにウジが湧いていたけれど。

マングローブの林

となりの家にはボビと呼ばれる6才くらいの男の子がいて、私は彼にメロメロだった。船で少しマングローブの林を行った奥に、海中にソフトコーラルの茂るビーチがあって、そこへボビのお父さんに連れていってもらった時のこと。私はあまり泳ぎが得意ではなくて、足がつかないほど深くへは行けずにシュノーケルで海の中をのぞいていると、オレにつかまれ、と私をサポートしながら泳いでくれて、こんなに小さくても男の子だなーと感心したものだった。

サンゴの海は色とりどりでへんてこな形にあふれていて、私が驚いていると、こっちのほうがもっときれいだよ、と次々に海中を案内してくれた。調子に乗って海の中に椅子のように盛り上がったサンゴに腰掛けたら、お尻に針が刺さって悲惨だった。ふわふわに見えて、サンゴはクラゲのように針を持つことを私は知らなかった。

夜になると近くの海ではホタルが飛び交うところがあるといい、ボビのお父さんが漁のついでに船を出してくれたことがあった。結局その日はホタルは数匹しかおらず、帰り道に少しがっかりしていた私に、ほら、ほたるみたいにキレイだよ、とクリスマスのイルミネーションがついた家を指さしてくれたボビの明るいやさしさ。思い出すだけで、なんだか泣けるほどあたたかい。

ときどき、今頃ボビはどうしているかな、なんて考えることがある。あんなにかわいかったボビも多分きっと、ビールっ腹の人懐っこいおやじさんになっているに違いない。ほとんどの村の人はそんな感じだったので。


水上の町の夕暮れ

りかちゃんの住む集落の先には小さな島があり、その先はまた長い木の橋になる。こちらは船が通れない水面ぎりぎりの橋だったけれど、毎年6月ごろの大潮の満潮のときには橋が水に沈んでしまう。高潮など来ようものなら、床上まで水浸しになってしまう家もあるのだそうだ。

そんなことならもっと考えて作ればいいのに、と思ってしまうけれど、年に数回のことに気を使うようなことはしなくてもいい、という楽天的なところがフィリピンのこういう田舎にはあって、もちろん貧しさから来るところは半分あるかもしれないけれど、それが魅力でもある。壊れてしまいそうな頼りない橋でも、壊れたらまた直して使えばいいでしょ、という当たり前の考え方がある、ということを気づかせてくれた。

私がスリガオに通ううちに、この木の橋は珊瑚を積んでつくった桟橋に変わってしまった。もちろん珊瑚の橋も美しくて頑丈なのだろうとは思うのだけれど、そのぶん補修も大掛かりでお金がかかるものになるだろう。その先にある日本の土木工事の大掛かりさ、窮屈さへの一歩を進んでしまったような気がして、軽やかな橋の下を魚が行きかう橋の優雅さを思うと、少し残念な気分になった。

でも当時はこのあたりには木造の橋はたくさん残されていて、道を進んだ先にも、時折船で連れて行ってもらう先にも、素敵な橋はあった。美しさに有頂天で写真を撮ったものだけれど、あの橋は今どうなっているだろう。たいていは、途中でかなり危険な一本橋になって、泳げない私は海に落ちるのが怖くて、カメラを落とすのも怖くて引き返して来てしまったけれど。

水上の集落

この村がすっかり気に入った私はたびたびここを訪れた。訪れるたびにフィリピンの自然の美しさと豊かさを見せてくれる村だった。

フィリピンでは水上の町はスラムであることも多く、決していい環境とはいえないこともある。でもこのマングローブに囲まれた村の暮らしを見ていると、全くそんなことは感じず、むしろ植民地になる前の幸せだったもともとのフィリピンの暮らしが垣間見えるかのように思った。もちろんそれは、ふらりとここを訪れた旅行者のうわべだけの見え方だったのかもしれないけれど、それでもこの村がいつまでもこのままでいてくれたら、と願わずにはいられない。

マングローブに沈む夕日
夕暮れの橋は夢の中のよう

あれから20年以上が経っている。記憶の中の世界で一番素朴で美しい村は、そのまま変わらず、なお輝きを増して私の中にある。ボビはきっとそこで、日焼けした浅黒い顔で笑う、腕のいい漁師になっているはずだ。


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