心がチクリとする話
11月もそろそろ終盤。
Thanksgiving は来週に迫っている。
毎年、この時期になると
”あ〜、今年も無事に終わったな。。。”
という気持ちになる。
とりわけ、今年は毎日が、毎週が、毎月があっという間に過ぎていった。
この勢いで歳をとっていくのだから、人生って短いな。。。
と、しんみりした気持ちになる。
近ごろ、何かモヤッとしたよくわからないものが頭の中を取り巻いていたので、このモヤッの出所を探ってみた。
記憶の奥の深い引き出しにしまっていた感情を掘り起こしてみる。
私は10代の頃、とにかく周りの人たち全てがすごい人に見えていた。
それ故、人を妬むことは無かったけれど、
”〜ちゃんはすごい、〜くんはさすが!私には到底できない”
と常に彼らを称賛していた。
自分に得意なことがあったとしても、それを自ら認めたことはなかった。
私は常に受け身であり、親や周りの人たちに褒めてもらえること、認めてもらうことが最も価値のあることだと信じていた。
自分はどうしたいのか、なんて考えたことも無かった。
そんな中、高校3年生のとき担任の先生と進路相談をしていて言われた言葉が、今でも忘れられない。
”周りの友だちを称賛してばかりいないで、もうちょっと自分のことに目を向けてみたらどうだ?”
私は自分の進路相談をしているにも関わらず、
”〜ちゃんは本当にすごいと思う。”
を連発していたのだ。
”あのね、’〜ちゃんはすごい!’ はいいけれど、あなたはどうしたいの?”
そう聞かれても、全く答えることができなかった。
いざ自分のことになると、自分はどうしたいのか、本当に全くわからなかった。
そのことに愕然としたものの、物心ついたころから受け身で過ごしてきた私にとって、その質問は未知の世界のものだった。
自分は何が好きで、どうありたいのか、それに気づくのに随分と年月を要した。
今いい歳の大人になって、あの頃もう少し自身に焦点を向けることができていたら、自分を自由にしてあげていたら、今とは違った私になっていただろうな。。。と思うことがある。
では今の自分に満足していないのか、というとそんなことは全然なくて。笑
ただもったいない子ども時代だったな、って思う。
もうちょっと子どもらしい、子ども時代を過ごしてあげたかったな、って。
そうできなかった自分、他人の顔色ばかり気にして、そのことに気づけなかった自分をちょっと残念に思う。
責任を負う必要がないからこそ出来る、子どもの時しかできない発想や振る舞い、ってあるものね。
友人や夫との会話の中で、彼らの天真爛漫な子ども時代の話などが出てくると、今でも心がチクリとする。
でもね、私という人間(私の魂)は未熟で、そういうことに気づけなかったのだからしょうがない。
こうして文字に起こしてみて、私はまだこんなにも鮮明に、何十年も前のことを覚えているんだな。。。と自分でも驚いている。
今回 note に記すことができたので、この想いを手放してあげたい。