最終決断は自分でする
自身が”ガン”、あるいは”ガンかもしれない”という事態に直面したとき、平静心を保って対処していくって、なかなかできないことだと思っています。
”早期発見が何より大事”と言われている病気だからこそ、”のんびり構えて。。。”なんて訳にはいかないし、入院や手術となれば尚更のこと。
”日常生活に戻れるにはどれくらいかかるんだろう?”
”仕事休まなくちゃいけなくなるな。”
”しばらくは傷の痛みや、身体の自由が効かないことなど不便な日々になるな。”
”手術を受ける上でのリスクや後遺症の可能性はどの程度あるのだろう。”
など、いろいろな事が頭を駆け巡る。
主治医は当然のように、現代医学で考えうる最高かつ最善の方法を提案してくる。
それが西洋医学の医師の考え方であり仕事。
そしてそれらをどこまで受け入れるか決断するのは私自身。
ことの始まりは、オリモノの異常でした。
そのため、ここ数ヶ月いろいろな検査をしてきた。
超音波検査、血液検査、腫瘍マーカー、細胞診、造形剤を入れてのMRI。。。
どれも異常なし。
それでも異常なオリモノの出所が分からないため、子宮体がん、卵管がん、あるいは卵巣がんの可能性を否定できない。
というわけで、主治医から子宮内膜の生検と卵管の生検(卵管全摘出)を提案された。
卵管摘出の際には卵巣、腹膜もcheck出来るとのこと。
もう子どもを産む予定もないし、閉経も近い年齢なので、卵管は、もっというなら子宮も必要ない。
ならば悪性だったときのリスクを考えて、子宮内膜と卵管の生検が最善策だと考える、というのが主治医の見解。
術式は全身麻酔下での子宮内膜掻爬術(しきゅうないまくそうはじゅつ)、同時に腹腔鏡手術で卵管摘出と決まった。
多発性筋腫で、過多月経に悩まされていた私は、1年半ほど前に全身麻酔下で子宮鏡下筋腫摘出術(ヒステロスコピー)を受けたことがあった。
この時は、膣から器具を入れるためお腹を切る必要がなく、麻酔も点滴から入れる”静脈麻酔”だった。
今回は、腹腔鏡手術(お腹を数箇所小さく切って、手術器具を入れてする手術)もすることになるので、気管挿入での全身麻酔になるとのこと。
これらの全身麻酔の違いを簡単に説明すると、点滴から麻酔を入れる”静脈麻酔”は深い眠りに落ちている状態で、呼吸は自発呼吸(自分で呼吸をしている状態)。
それに対して腹腔鏡手術での麻酔は口から気管を挿入して行う全身麻酔で、自発呼吸は止まり、人工呼吸器に頼るもの。
(自分で呼吸する能力は一度なくなるって考えると怖いよね!)
私も一旦は主治医の提案を理解して同意した。
主治医とは、私の多発性子宮筋腫のことでお世話になっているので、かれこれ5-6年のお付き合い。
とても信頼できる、患者の意見をいつも尊重してくれる先生。
手術日も一週間後に決まり、同意書にサインをした。
家に帰り、なんとなくPCを開く私。
ネットでの情報は、これまでも検索し尽くしたと言っていいほどしてきた。
メリット、デメリット、起こりうるリスクなど、あらゆる面で。
でも検索の手を止めることはできなかった。
そして何の根拠もないけれど、ふっと直感が頭をよぎった。
今の私の状況は、悪性の可能性を捨てきれない。
とはいえ、検査するためにそこまで大きな手術をする必要ってあるのだろうか。
西洋医学的には、卵管は年齢的にもう不必要なもの。
それはわかっている。
でも、これで検査結果が陰性だったとき、
”卵管切除の手術をしたのは大変だったけれど、陰性で良かった。”
って思えるのか、ということ。
私の答えは”NO”だった。
それよりは、
”がんの検査が目的だったとはいえ、身体の一部を取り除いてしまった。”
”東洋医学でいうところの’気の流れ’を切断してしまった。”
”自分の免疫力や身体を信じてあげることができなかった。”
そう思うのではないか、と。
翌日、主治医にメールをした。
”卵管の切除はしたくない”と。
主治医は、私の決断を理解してくれた。
不機嫌になるわけでもなく、高圧的な態度を取るでもなく。
”卵管や卵巣は開けてみないとわからないものだから、内膜の生検のみで100%ガンの有無を明瞭にすることはできなくなるけれど。。。あなた自身の身体だから、あなたの決断を尊重します。”
と。
最終的に、今回は子宮内膜の生検のみの手術を受けることになった。
私たちが生きていく中で、大切な選択を迫られる場面は、多かれ少なかれあると思います。
今回の出来事を通して、その選択が大きければ大きいほど、最終的に決断するのは自分なんだと強く感じています。
結果的に自分の選択が良かったのか、悪かったのか、に関わらず。
それが後悔の残らない選択なのでは、と思いました。
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