職業差別とは何か #差別#偏見


はじめに


コロナの拡大防止のために東京都が夜の街への休業要請を行ったことで、「キャバクラ嬢にも補償をするのか」という議論が巻き起こった。

この議論を機に、「職業差別」という薄々感じているものの、あまり取り沙汰されない問題が表面化したように思う。

ここでは、職業差別とはいったい何なのか、なぜ人々は差別意識を持ってしまうのか、どのような職業に対する差別があるのか、などについて考えていきたい。


職業差別とは何か


まず、職業差別とは何か。


職業差別とは、ある職業集団やその職業集団に属する人をただ単にその職業に就いているという理由のみによって不当な扱いをしたり卑下する態度をととること、といえます。


上記の定義は、あくまで私の考える職業差別ということなので、二点注意書きをしておく。


第一に、「単にその職業に就いているという理由のみ」という点について、ある個人の特性を考慮することなく、その職業についているという事実のみで判断しているということを意味している。暴力団や詐欺集団などのように明らかに犯罪的手段を用いている場合は「職業差別」には値しない。行為自体が犯罪だからだ。


第二に、「差別」という言葉は、「卑下する態度」という要件だけではなく事実として「不当な扱いをする」という要件がなければ「差別」として定義されないのではないかという意見も考えられるが、「卑下する態度」のみでも当事者にとっては不当な扱いと捉えられるだろうということから、あえて、「卑下する態度」という文言を加えた。


さらに言うと、卑下する態度という要件だけでは、「差別」ではなく「偏見」ではないか、ということも考えられるが、大まかな定義では、偏見も差別の一種として扱ってもよいと思う。ただし、明確に「差別」という用語を定義するとすると、「不当な実害を与える」ということが重要な要件になるのではないかと思う。大まかな定義付け、ということで、この点については深く掘り下げず、別の機会に考察の機会を回したい。


実際にどのような職業差別があるか


では、日本では、どのような職業差別があると考えられるか。以下は、ウィキペディアからの引用です。

コンビニ店員 - 素行不良
工事作業員 - 低学歴でも就ける・犯歴を問わないことが多い
塗装工 - 素行不良・低学歴でも就ける・犯歴を問わないことが多い
大学教授 - 変わり者が多い
工場作業員 - 陰険・根暗が多い
医師 - 特権意識が強い
看護師 - 気が強い
教師 - 性犯罪がらみの逮捕者が多い
政治家 - 汚職・特権意識
警察官 - 特権意識が強い
新聞配達 - 低学歴でも就ける
教習指導員 - 免許さえあれば誰でも就ける
AV(女優・男優・監督) - 淫靡
ヌードモデル - 淫靡


以上は、あくまで「悪口」・「偏見」レベルといえるでしょう。つまり、ただの「偏見」であって、「差別」ではないのではないか、ということだ。上で、差別と偏見の違いについて少し触れたが、↑の例などのように悪口を言ったり不当な扱いをすることは、れっきとした差別だろうと考えられる。


職業差別の分類


職業差別は、何に起因してそのような差別が起こるのか、という観点から分類ができるのではないかと思う。つまり、所得格差、宗教、身分、部落、仕事内容、雇用形態などによって、ある仕事に就けなかったり、その仕事に従事していることを理由に不当な扱いを受けたりする、ということである。


国別での分析や歴史を追ってそのような職業差別を追っていくということはしないが、上に列挙した要因から、職業差別が起こりうると考えられる、ということです。具体的には、ウィキペディアの情報で恐縮だが、インドのカースト制や、正規・非正規、士農工商、ある部落に屠殺や死体処理を強制すること、など、参考になればということで列挙しておく。


ここでは特に、所得格差や仕事内容、雇用形態などによって、職業差別があるのではないかという点に注目しましょう。これらは、現代社会における所得格差の問題や技能の未収得ということから考えられるように、能力も試算もない人々がしかたなく、敬遠されがちな仕事をすることになる、ということから差別意識が働くのだろうと思います。


このような、皆がやりたくない仕事というのを、社会の構造的問題であって、是正すべきものとして捉えるか否かは議論に値すると思います。さらに、知識も、能力も、資産もない人が仕方なく望まない仕事に就くということが、社会問題なのか、その仕事自体の問題なのか、それとも教育制度の問題なのかというのも議論に値すると思う。以下で詳しく見ていければと思う。

意見とまとめ


職業差別の文脈で語られることに関して、僕の意見を言うとすると、法律上認められている職業は尊重すべきだということと職業選択の機会は可能な限り均等なほうが良い、ということです。


まず、法律上認められている職業は尊重すべきという点に関しては、他者に危害を加えない公正な取引に基づいたうえでの仕事というのは、職業差別の対象になってはならないということです。理由は、公的に認められている仕事ということは、偏見で評価されるのではなく、公正だと認められた仕事だからということです。僕は、それ以上の主張もそれ以下の主張もしないつもりです。つまり、詐欺行為などで不正に金銭を得ることは、違法でありやってはいけないこと、一方、仕事として認められていることは、たとえ家族や友達であっても否定することはどうなの、ということでそれ以上でも以下でもないということです。


その上で、職業選択や機会の均等という点に関して、まず、本人の意思に反して家族や友人が職業選択に口をはさむことはあまりいいことではないのではないかということです。ここで注意すべきなのは、本人の責任能力がどの程度あるのかというのを考えるべきではあるということです。例えば、高校に行かずに野球の練習ばかりしてプロ野球選手になるのだ、という中学生がいたとします。この中学生の選択は、職業選択の自由では全くないうことです。なぜなら、その練習環境を提供するのは誰ですか、というとその子の親になるからです。自立していない人が他者の援助を得ている状態においては、職業選択の自由がその人にある、ということではなく、援助を受けているニートになっているということになるからです。


その点で、技術や能力がなく手持ちのお金がない人というのは、職業の選択の幅がかなり限定されてしまうということが社会構造の問題としていえると思います。雇用の機会は均等にあっても、その人の境遇によっては、就ける職業が限定されてしまうということです。この点が、ある一部の仕事に対する劣等性を生み出していると思います。事実として、技術や能力がない人はそれ相応の仕事にしかつけないのが現状としてはあると思います。これを社会問題と捉えて解決の方法を探るということはここではしませんが、そのような仕事の優劣性が事実としてあるときに、私たちは、それらの職種をどのように扱えばいいのでしょうか。私は、差別することなく扱うべきで、優劣性があるからといって特別扱いする必要もないのではないかと考えています。なぜなら、そのような仕事も社会にとって必要だからです。


色々と議論はあるところだとは思いますが、この辺りにしたいと思います。世の中には、様々な仕事があり、それらの仕事が仕事として成り立つことで経済が回り社会は発展し世の中は便利になっていくのです。給料の安くて誰もやりたがらないような仕事は、ブラック企業としてなくなるか給料が高くなって需給が釣り合うようになるのだと思います。

いずれにせよ、職業差別はよくないと考えます。それは定義上の理由からです。ただし、職業によってイメージの優劣給料の多い少ないは事実としてあると思います。それを社会問題として捉えるか否か、あるいは仕事の優劣を社会はどう捉えるか・受容すべきか、という点に関しては、大いに議論の余地があると思います。



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