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私の中での“challenge”の意味

ちょうど昨日、35kmのhikingをしてきました。私の周りのみんなは、何でそんなことするの?と、しきりに聞いてきました。私は、meditationみたいなものだよ、と答えていました。正直なところ、私はhikingよりも自転車の方が好きで、長い距離を歩くことはあまり好きではないのです。でも自然は大好きで、自然に触れることでリラックスしたり、新しい考えが浮かんだりするのは知っていました。だから、これといって大きな目的地もなく、ただ自然の中を歩くことを目的として出発したhikingでした。
外はとても風が強くて、とてもhikingに向いた気候ではありませんでした。そして自然を感じることを第一目的としていたにも関わらず、選択した道のほとんどが交通量の多い道路で、コンクリートの上を歩きながら“なかなかうまくいかんもんだなぁ”と考えていました。

体感温度は3度。実際の気温は11度。色とりどりに咲き始めた花たちが強い風の中、必死に倒れないように踏ん張っているのを見ながら、デンマークの花は頻繁にこうやって筋トレしてるから、日本の花よりも力強いのかなぁとか、馬っていつ見ても草を食べてるんだけど食事が人生の大半って人生楽しめているんだろうかとか、しょうもないことを考えながら歩いていました。


しょうもないことを考えるネタも尽きた頃、この本来の目的とは少し異なるhikingに対して、何でこんなことしてるんだろ、と自問自答していました。みんなにはmeditationだと言ってきたものの、これはmeditationではなく修行になってるわと感じていました。自然はあまりなくて、足は痛くて、これといって目的地もなくて、歩くことが好きというわけではなくて、じゃあなぜ?



私は、何かに行き詰まった時、変わり映えのない日々に刺激が欲しいと思った時、何かここで自分が成し遂げた記録を残したいたいと思った時、自分のリミットを感じた時に自転車の旅や電車の旅、登山などの“challenge”に行くことが多かったということに気がつきました。今回の旅は、その全てが当てはまっていました。

デンマークに来て1年。ここが異国の街であることを忘れて、ここにいられることのありがたさとか、1日1日を大切に生きなきゃとか、そういった気持ちが薄れていると感じていました。前の学校では、授業からも、友達からも毎日たくさんの刺激を受けながら、自分が成長できていると実感できることが多くありました。しかし今の学校では、英語の壁に加えて、デンマーク語の壁にぶち当たり、周りのデンマーク人の子よりも圧倒的に自分の学びが少ないと感じ、ここに滞在する意味はあるのかと考える日々でした。

その打開策のひとつが、歩くこと、だったのだと思います。この状況を能動的に、無理矢理にでも打破したい、という気持ちがこの旅のきっかけになったのだと思います。もちろん、自分1人のこんな挑戦で、私の周りの人たちや状況が一転することはありません。それでも一種の自己表現として、周りに何か影響できればいいなぁとわずかな期待を持っていました。


そしてもう一つの理由である、自分のリミットを感じた時。これは私の病気が始まった11年前から頻繁に自分の中に出てくる感情でした。

病気を発症して初回入院の時、看護大学1年生になったばかりの私に、入院先の看護師さんは「この病気があると看護師として働くのは大変だから、保健師として働いた方がいい」と言いました。その言葉は私にとって衝撃的なものでした。まだこの病気をあまり理解していない自分にとっては、将来の希望を無くしたようなものでした。しかし私はもうすでに看護大学に入学していましたし、病気のことを理解した上で大学に復学することを待っていてくれる先生もいました。大学在学中に再発を繰り返しつつも看護大学に通い続け、何とか実習も突破し、看護師になりました。

病院で看護師として働くという選択も、その看護師さんの言葉が引っかかっていましたが、この病気があっても採用してくれた病院に自分ができることを精一杯尽くそうと思い働くことを決心しました。そう考えると私のチャレンジはずっと続いていて、看護師として働くこと、夜勤をすること、仕事を続けることが看護師としての初めの目標で、そんな誰にでも当たり前にできるようなことを達成した時に、自分にもできるんだと自分で勝手に決めていたリミットを広げていくとともに、病気の殻に閉じこもって悲観的になってしまう自分に、大丈夫、私は強い、強く生きなきゃ、ということを諭していた気がします。

自分のリミットを感じたり、悲観的になってしまうことに対して、自らリミットをぶち破ることをしたり、敢えて悲観的に考えないように意識しなければ、自然とそいったマイナスな感情に飲み込まれてしまいます。他の人はできるのに自分はできないとか、体調の変化や薬の副作用を強く感じたりすることは頻繁にあって、その度に自分の中にリミットというものができて、そのリミットをそのままにしていると、どんどん自分の住む世界が小さくなってしまうと感じるのです。だから、身体的な挑戦や自分自身の将来への挑戦もコンスタントにしていくことで、自分を見えないリミットから守ってきたんだと思います。


仕事を辞めて海外に行くことを話した時に、安定した収入が得られる仕事を辞めてまでどう転ぶかわからない海外に挑戦することに恐れはないのかと聞かれたことがありました。正直恐れはあまりありませんでした。ここまで看護師を続けられたこと、そもそもここまで生きてこられたことが自分にとっては奇跡で、たとえ失敗したとしても自分には守るものも、無くすものも何もないし、できないことが多く、挫折を繰り返してきた自分にとっては失敗から学ぶことが多いということを重々知っていたからなのかなとも思います。

話が大きく飛躍しましたが、今回の挑戦にはそんな思いがありました。というかそういう感情を歩きながら振り返ることができました。結局、29km地点で両足底の水疱に気がつき、33km地点で右足の水疱が、35km地点で左足の水疱が破綻し、別に完歩することが目的ではないもんなぁと、そこからバスに乗って帰宅することにしました。諦めるということも、挑戦するマインドには必要なのです笑。完璧でなくて良い、自分が後悔しないと思ったら勇気ある撤退も大切になるのです。


結局この旅を終えて周りに少しでも影響を与えたかというと、決してそんなことはありませんでした。hiking楽しかった?と聞かれても、正直なところあまり楽しくはありませんでした。それでも私はこの挑戦でいくつかのことを知ることができました。35km、自分の足で歩くことができると分かったこと、35kmはやっぱり長い距離だったこと、hikingは普通2人以上でするものだということ(1人でhikingしている人には1度も会わなかった)、すれ違う人たちに笑顔でHej!と言ってもらい、デンマークにずっと住んでいたいと思ったこと、新たな景色の良い場所を見つけたこと、たくさん歩くと水疱ができるということ、バスのありがたさ、ここデンマークで1日かけてhikingをするなんて贅沢な1日を今過ごせていること。この挑戦をしなければ、この道を辿って、ここで水疱ができて、ここでバスに乗る選択をしなければ気づかなかったことばかりでした。

きっと毎日こんな小さな気づきをたくさんしているのだと思います。そして自分も少しずつ成長しているのだと思います。それをこうして書き出していないからそのことに気が付かなかったんだなぁと、今書きながら自分自身を振り返っていました。このことを言葉にしようとしたことも、自分にとってはこんなに大きな意味があって、この毎日のちょっとした自分の選択で人生は作られていくんだなぁと、今を大切に生きる、という前の学校で強烈に実感した思いが、こんな形で自分の中に戻ってきて、やっぱりここに行き着くのかぁと人生は上手くできてると感心した瞬間でした。

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