似非オートマティズム② 家事のこと

このシリーズではとってもとっても即時的で突発的に胸の内をぶちまけてやろうと試みるものです。いかに時間をかけないか、がポイントです。いわば瞬間冷凍のようなものです。


12/28

家族について。
家族の雰囲気が邪悪になる原因は決まって、家事の分担にある。私の両親は共働きであるから、どうしても母親の負担が多くなってしまう。
父親はもちろん、妹も深夜バイトやら友人との外出やらで全然家におらず、決まって私が母親の次に家事をする。まあ基本家にいるんだから良いんであるが、なんかなあ。

やはり毎日何かしら家事をやる人は、別に指示されずともいつ何をすればいいかが把握できるので、自ら動けるが、そうでない人は受け身だからか仕事が雑というか荒っぽいのである。

今日洗い物忘れずにやってよね、って私が念を押すもんなら、

はあ????てめエ、うるせえな、分かってるわ!!
と言わんばかりの剣幕で、機嫌を損ねてしまうのである。
うん、分かった。と言えば良いものの。

しかし、私は家事をすることは特に苦ではない。家事の種類によって多少の好き嫌いはあるが、私が一番多く担当するお皿の洗い物は、例えばロカビリーを聴きながらであればツイストしながらこなせるし、冬は足が冷たい風呂掃除だってピカピカになった浴槽を見ると毎回何だかほんの少しの達成感を味わえる。
そうゆう、ちょっと良いところを見つけてしまえばこっちのもんなのだ。

なんで自分が家事をしなければいけないのか、と考え出したら段々とイラついてきてしまうものだ。だからもう自分のやるべきことにひたすら没頭するしか無い。
家事そのものよりも、誰がどれだけ家事をやったかで毎回険悪になる雰囲気が嫌なので早く一人暮らしをしたいと思っている。
留学していた一年間はそのストレスが無く、(ルームメイトと言うまた別種のストレスはあったが)あの快適さよもう一度、と希うこの頃だ。

留学の日々では、母の、シーツ洗っといたからね、みたいな有難いお節介さに頼れるはずもなく、自分で定期的に色んなものを洗ったり管理したりする必要があった。しかし、そういう生活の行為は勉強で疲れた頭や何だか気分が優れない雨の日の憂鬱を一新させてくれる力があった。よく晴れた日に干したシーツを取り込み、皺を伸ばしながらマットレスに被せ、そこに顔を埋めると、あの香ばしい太陽の匂いがする。ああ、私は満たされている!
そう感じる瞬間が好きだった。

巷では、家事をいかに省くか時短をするかの話題が盛んである。確かに、私の母のように仕事をしてから毎回夕食を作る、と言う忙しい人にとって、家事に割く時間は少ない方がいいだろう。だから母に、毎日食事を作らなくても外食で済ませる日を増やせばいいじゃないかと提案したこともあったが、母は母親として、安全で栄養価の高い食事を家族に振る舞いたいと言う思いがあり、それには賛同しなかった。

日本のお母さんたちは食事を作るのに費やす時間が外国と比べてかなり長い、ということをどこかで耳にしたことがある。
欧米の人は、旦那との時間や自分のための時間を犠牲にしてまで、なぜそこまで食事の準備に時間をかけるのか疑問に思うらしい。
確かにそうやって合理的に考えたら家事はロスタイムなのかもしれないが、私の母親の思いを受けて、家事の原動力は愛に他ならぬ、と思った。
夫婦間の直接的な愛の営みだけが愛情表現ではない。
できるだけ丁寧に、栄養たっぷりで、見栄え良く、美味しくしよう、そう思いながら料理するその行為も、とびきりの愛情表現である。
私が調理した食べ物は愛する人の舌を伝い、おいしさで気分を和ませるだけでなく、栄養となり、その人の血や肉となる。
料理という営みはとても奥が深いように思う。


そう考えると、自立もままならぬ現在の私は、まだ家事を通して自分自身を満足させるだけにとどまっているようだ。
でも、料理するのは好きなので、誰かに料理を振る舞ってみたいという気持ちはひそかにあったりする。





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