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「追悼 大宮司康治」大宮司康治君のご冥福を祈る(「山桜通信」52号)

学習院大学山岳部 昭和42年卒 錦織英夫

1965(昭和40)年の春山合宿は北海道の利尻岳で行われた。大宮司康治はただ一人残った1年生部員としてこれに参加。ほかに3年生部員2名、2年生部員2名、計5名の小さな合宿であった。前年に学習院大学山岳部プロパーの海外遠征がカナダのローガン(6050m)で行われ、主力部員の5名が参加、海外渡航自由化のもとに実施された学生主体のライトエクスペデイションであった。大宮司がこうした雰囲気にあった学習院大学山岳部に何を求めて入部してきたのかは想像できる。いずれ自分もその戦列に加わりたいという思いを持っていたに相違ない。

利尻は本州の山とは趣が違い、ルートにした南稜は急峻な雪稜と最後に頂上岩壁で構成され、なにか日本離れした景観の山であった。利尻島に着くまで青函連絡船に乗り、暗夜の宗谷本線を走り、稚内からは大揺れする小舟で鴛泊までの二日間は小遠征の気分であった。大宮司は1年生部員としていろいろしごかれた筈だが、それなりの達成感も大きかったにちがいない。

1967(昭和42)年、彼はカナダ遠征隊の一員として、カナダの海岸山脈にある難峰ワディントン(4042m)に、山田忠先輩と高校山岳部(千葉高校)時代の山仲間である北大山岳部の石井宇一郎君と一緒に挑んだ。アプローチの氷河の状態が悪くワディントンは偵察だけに終わったが、周辺にあるセラピーク等5峰に登頂し幾つかの初登頂にも成功した。このあと大宮司と石井君は陸路アメリカをバスで縦断し、メキシコではオリサバ(5700m)、ポポカテペトル(5465m)、イスタクシウアトル(5230m)などに登り高所を経験した。

大宮司の生業は登山・スキー用具店の経営であったが、学習院大学山岳部プロパーのヒマラヤである1976(昭和51)年のスキャンカンリ遠征にも参加し、装備担当として活躍した。

カナダ遠征の体験は、彼をしてカナダ永住の道を模索させることになった。そのころ細井久栄先輩が企画し、私も手伝っていた日本人留学生のためのプログラムをアイダホ州の州立大学と提携し、ルイストンに第一回目の入学生徒を送り出したところであった。現地でのマネージャー役として大宮司にも協力してもらった。このプロジェクトは途中で挫折してしまったが、その間彼と家族はアイダホとカナダでスキーと釣りを楽しめたのはせめての救いである。
(2023年6月27日逝去) 

※標高は全て当時の標高です(編集部)

1976(昭和51)年、カラコルム
スキャンカンリ(7545m)遠征のBCにて

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