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鹿島槍天狗尾根遭難を総括する(遭難)(原文)㉓

学習院大学山岳部 昭和34年卒 右川清夫

②新提案:雪崩の予知が即回避にはならない

 雪崩の予知が十分に可能な場合、予知ができたからといって、それが即雪崩の回避にはならない。 折角、周囲の状況からはっきり雪崩を予測したとしても、それが行動に結びつかなければ、予測しなかったのと同じだからである。 状況をキチンと認識した上で正しい判断を下していながら、実際にはその判断と異なる行動をとってしまうことは、日常生活でだれもが経験することだ。 わかっているのに違う行動を取ってしまうのである。

 燕温泉の事例が教えてくれることは、雪崩を警告する複数の兆候を確認し雪崩の発生を正しく予知していたのだから、何があろうとその判断に従って出発を見合わるべきだったということである。 ほぼ100%、 途中のトンネル入り口での雪崩の発生を予測していて一度は出発を見合わせる決定をしていながら、地元の人間の懇願に屈して出発し、一人の高校生が新雪雪崩に埋められてしまった。 わかっているのに違う行動に走るという、誰もが日常経験する道筋を辿ってしまったのである。

 日常生活での過ちならそれが直ちに致命的とはならないが、雪崩をはっきり予測していてその危険性が極めて高い場合に行動をおこすことは、取り返しのつかない致命的な結果を招く。 「わかっていたのに・・・」、では済まされないのである。

 雪崩の予知を活用するというのは、予知したその判断に従って行動を決定するということである。 鹿島槍での遭難の場合は、その予知ができなかったのだが、燕温泉の場合は、予知していながら、その判断と違う行動を取ってしまった。

 いくら正しい判断をしても、それが実際の行動に結びつかなければ、判断しなかったのと同じである。 仮に正しい判断を行動に結びつける意思を“叡智”と呼ぶならば、「叡智によって、予知は初めて活用される。」と言って良い。 姿勢としては、情緒に流されず徹底して理性を貫くことである。

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