「追悼 武田宗之」 山登りは楽しい―武田宗之君を悼む(「山桜通信」52号)
学習院大学山岳部 昭和34年卒 田中和雄
武田宗之君はぼくが大学3年の春に入部してきました。穏やかで物静か、声は小さく、声を荒げることはなく、群れることもなく、いつも一人佇む姿は川原の白い樹木のよう。凡そ一緒に入部してきたT君、K君らとは一味も二味もちがう優男でした。
その武田君が秋山の負荷で山に入る頃に、話を聞いてくれないかというので、部室が空っぽになったある夕、二人きりで小一時間話を聞きました。ポケットマネーで買った水のボトルを一本、ぼく用に用意していて、自分の分は無しという気づかいにぼくはドキマギしました。
話は、山岳部をやめたい、というのです。夏山に行って60㎏の荷物にへこたれながらも頑張って耐えつづけているうち、新人の一人がバッタリ倒れた。思わず手をさし伸べ「大丈夫か、荷物を少し持ってやるぞ」と声をかけたとき、不思議に力が湧いて、ほんとうに彼の荷物を持ってやる気になった、といいます。自分が完全に勝者で、へこたれた新人は負者という構図ができてしまった、と武田君はうなだれました。その自分は何とケガラワシイ、恥ずべき人間だと告白する武田君の目に光るものがありました。仲間の不幸をタネに元気になるのなら山岳部の皆に申し訳ないからやめたいというのでした。
実はぼくにも武田君と同じ体験がありました。同じ夏山で60㎏の荷物を背負ってへこたれているとき仲間がバッタリ倒れて、皆で荷物を分けて持ちました。ぼくにも同じ体験があることを打ち明けると、武田君の顔がすこしほころんだようでした。仲間の苦難に手を差し伸べ助け合うことは、人としての美徳であると話をしたあと、ぼくは山岳部から学んできたことの話をしました。それは山の危機から自分の身を護ることのいかに大切かということです。滑落防止、ロッククライムの技術、天候を読む力、医学的知識などです。つまり一人で山に安全に登る術を身につけたいという願いで山岳部に在籍しているという話をたくさんしました。冬の北穂の岩稜を単独行でトラバースしていた時とつぜん表層雪崩にまきこまれ、リュックサックを捨て、黒い雪の濁流のなかで左手を鼻にあて、右手で抜き手をきって泳いで九死に一生を得た話や、谷川岳一の倉沢の岩壁を15m落下して奇跡的に助かった話など、命からがらも山に挑戦しつづけていることを、まるで落語でも話すように喋りました。
武田君は立ち上がり、ありがとうございました、田中さんの話は噺家の話を聞くようで楽しかった、退部届は出すのをやめます、ということになり、そのあとの冬山や春山も一緒に山登りをしました。
そのあと卒業してからの武田君の消息は知りません。きっと自分なりの哲学を考え、一人山登りを楽しんだにちがいないと願います。
ご冥福をお祈りします。 (2023年5月3日逝去)
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