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ゆううつの原因をおいていく

先日、ゆううつをやめたくなった、という話をした。

https://note.com/sanotuki/n/n92e263ea5ccc

色々考えている中で、深掘りすることを後回しにしていたので、今日はゆううつの原因について思い当たることを手元のノートに書き綴っていた。

直近に限った話で言えば、ゆううつの原因は仕事とお金の話なのだが、そうではなくて。
もうだいぶ長い付き合いになってきた、慢性的なゆううつの大元の原因について。



最初に思い当たったのは、中学三年生のときの出来事だ。
受験前、学校に向かう足が止まって、登校できない時期があった。

「どうして勉強をするのか」「きっといい学校に行くためだ」「どうしていい学校に行くのか」「きっといい会社に行くためだ」

「でも私は、いい会社になんて行きたくない」


そう思った背景には、私が小学生のときにうつ病になった父親の存在がある。
父はいわゆる”いい会社”に勤めていたが、そこでの仕事がきっかけでうつ病になった。
詳細は知らされていなかったが、父がうつ病になったこと、そして苦しんでいたことは当時小学五年生か六年生だった私も察した。

「死ぬ勇気がないから生きているだけ」
父が母に当てて書いた言葉を、偶然読んでしまった。十五年経った今も忘れられないでいる。
私自身、ゆううつがひどいときはまさに「死ぬ勇気がないから生きているだけ」で、父と同じだと感じていた。
私のゆううつの根元には、父のその言葉を見たときの衝撃がある。


もう一つ、いい会社になんて入りたくないと思った背景に、私が女だということがある。
当時、女性でバリバリ働く人は私の身近にはいなかった。
母は専業主婦で、友達の母親も働いていてもパートがほとんどで。もしかしたらバリバリ働く女性もいたのかもしれないが、私が見聞きする範囲では見当たらなかった。
十五年前は、今ほどは女性が働くことは当たり前じゃなかったように思う。
だから、いい会社に入ったところで、腰掛けなのに?という感覚があった。
私が男だったら、何も迷うことなく勉強していい会社に入ったのに、とも思っていた。
他にも女だから感じる生きづらさを感じることは何度もあった。
女である生きづらさ、ということのも、私のゆううつの根元にある問題だと思う。


「いい会社になんて入りたくない。じゃあ何で勉強するの?何で高校に行くの?」
そんな風に思いつつも、常識とかそういうものに押し流されるようにして進学した。
高校生、大学生、そして社会人になってからも嫌なことに直面することはあった。そしてその度にゆううつになった。
嫌なことがなくても、いつものようにゆううつだった。


そういうことを順番に振り返りながら、「あれ、でも会社に入ってからの出来事って、私のゆううつの根本的な原因じゃないよな」と思った。
私が先にゆううつを持っていて、会社に入ってから起こった出来事はそれとは別に、偶然、もしくは必然的に起きたただの嫌なことだ。
その出来事で私の中のゆううつが揺さぶられはしたけれど、あくまで大元の原因ではない。

となると、ゆううつの根元はやっぱり、最初に思い出した中学生のときの出来事だろう。


だけどそれも結局、十何年の時間が過ぎる間にただの過去になっている気もする。
そのとき辛かったことは確かだけれど、今でもそれをゆううつという形で引きずっている意味ってなくない?


カウンセリングの手法なんかで、過去の自分の感情をきちんと言葉にして受け止めてあげる、みたいなことを言う。
それが過去の辛い経験を乗り越えるために必要だって。

過去の嫌な経験たちに関しては、今まで何度も反芻してきたし、何度もノートに書き出してきた。
でもいつまでも嫌な記憶が残ってた。


もしかして、もう捨て置いてもいいんじゃないか?
後生大事に抱えてしまっているだけで、もういらないんじゃないか?


父のうつ病?聞いたわけじゃないけど今はもうたぶん治ってるよ。
女の生きづらさ?今でも時々感じるけど、年を取ってみたら昔ほど感じなくなったよ。
勉強する意味?学校の勉強は嫌いだったけど、自分の興味のあることで知らなかったことを知るのは楽しいなって思うようになったよ。


元々の嫌なことはとっくに解決したり、気にならなくなったりしているのに、結果であるゆううつだけが年を重ねて大きく育ってるの、ナンセンスだ。


過去の嫌なことは過去においていこう。
おいていこうって言って簡単においていけるものではないかもしれないけど。
このあとも時々思い出しちゃうかもしれない。
でも、それでもおいていこう。おいていく、って思おうと思う。

過去を深掘りして受け止めてあげるよりも、今の私に必要なのはそういう覚悟なんだと思う。

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