アポロンとダフネ|制作中の作品【10】

「そんなわけで、最終的にはミジンコの神話を創ってみたいという希望はあるんだけど、まだ形にはなっていない。ただ、その神話の種になるかもしれないというものがいくつかあるから、それを聞いてほしいんだ」

蘭堂は話しはじめた。やっと本題に入っていくようだ。もっとも、長引かせてしまったのは私のせいかもしれないが。

蘭堂は「キミの好きそうな話からはじめていこう」と微笑んだ。

「『ミジンコ』というのは、当然日本での呼び方、和名だ。動植物の種の名前には、学名がついていることは知っているだろう。ヒトの学名はホモ・サピエンスだ。ミジンコにも学名がある。学名は、ダフニア・ピュレックスという。このダフニアというのがミジンコ属を意味するんだけど、この『ダフニア』というのは、『ダフネ』から取られたらしい」

「ダフネ?」

「そう、ダフネ。キミなら知っていると思ったんだけど。『アポロンとダフネ』と言ったら思い出すかな」

「アポロンとダフネ……。ああ、月桂樹のことか?」

アポロンとダフネの物語は、ギリシア神話の中でも比較的有名な物語ではないかと思う。ダフネではなく、ダプネとかダプネーと表記されていることの方が多いと思うが、ダフニアの語源ということを強調するためか、蘭堂はダフネと言った。

アポロンとダフネの物語は、次のような物語である。

アポロンはギリシア神話の神で、太陽の神として名が知れている。アポロンは太陽神であり、詩歌や音楽の神でもあり医術の神でもあり、いろいろな神様であるが、弓矢の神でもある。その弓矢でもって、地上で害をなしていた大蛇ピュートンを退治した。

怪物を退治し、得意となっているところでエロスと出会う。

エロスは愛の女神アプロディーテーの息子で別名クピードー、馴染みのある名前でいうとキューピッドのことだ。恋のキューピッドをイメージするとわかりやすいと思うが、キューピッドは天使のような子ども、あるいは少年のような姿で描かれることが多く、そして弓矢を持っている。

「弓矢をおもちゃにしてはいけないよ」

実際にアポロンがどんなセリフをいったのかは覚えておらず私の勝手な想像である。アポロンは自分の弓矢の腕前を誇り、エロスをからかった。

一笑に付したか、内心憤慨したか。エロスはアポロンに向かっていう。

「あなたの矢はどんなものも射抜くことができるかもしれませんが、私の矢は心を射抜きます」

そして二本の矢を放つ。一本は恋の矢。アポロンに命中。もう一本は恋を嫌う矢で、ダフネを射抜く。ダフネは川の神の娘で、美しい精霊である。

恋の矢で刺されたアポロンはダフネに恋をする。ダフネに近づく。声をかける。しかし、恋を厭う矢で刺されたダフネは、アポロンから、恋心から逃れようとする。アポロンは追いかける。ダフネは逃げる。とうとうアポロンがダフネを捕まえようとしたとき、ダフネは川の神である父親に助けを求める。その願いを聞き入れた父である川の神は、ダフネの姿を変える。ダフネは月桂樹となった。そして、アポロンは月桂樹を自分の樹とした。

こんな物語だったと記憶している。

蘭堂は「そう、月桂樹のダフネだよ。このダフネから、ダフニアという名前がつけられた」と言ったあと、「とは言っても、いつどこでだれがダフニアとつけたのかボクは知らない。だから俗説かもしれないけどね」と付け加えた。そして、私に問いかけた。

「なんでミジンコに、ダフニアというダフネに由来する名前をつけたんだろう?」

「なんでって、それは、たぶん、ミジンコが精霊みたいに美しいと思ったからじゃないか?」

私は思いついたことを言った。

蘭堂は「まあ、そうだろうね」と言うものの、なにか物足りない様子である。「間違いじゃないと思う。正解も知らないけど」などと言う。

私は蘭堂の思考パターンを見つけたような気がした。『直感』が『ミジンコ』にたとえられたときも「なんで?」と考えていた。今回、ミジンコの学名ダフニアがダフネから取られているという説を聞いたときも「なんで?」と考えている。そして、なんとなく思い浮かぶ理由には納得していない。

「ミジンコに美しい精霊を重ねたというのは多分そうなんだろうけど、なんでダフネなんだろう? ダフネでなければならない理由はないだろうか」

蘭堂はそう言って微笑んだ。

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