ミジンコは微塵子|制作中の作品【13】

「別にミジンコの神話を創るのに、ダプネーの物語を下敷きにする必要はないだろう?」
 私がそう問うと、たしかにそうなんだけど――と、蘭堂は少し端切れが悪い。訝っていると、こっち方面はまだよくわからないだとか、話を広げられるかとか、ぼそぼそとつぶやきはじめた。
「よくわからないけれど、わからないから話を聞いてほしいと言ってきたのはお前だろ」
 私は蘭堂に話を続けるように促した。
「まあ、たしかにね。いずれどこかでは話そうと思っていたところだし、言ってみようか」
 蘭堂はカバンからノートを取り出した。よくある大学ノートである。そして白紙のページを開いて大きめな字で「微塵子」と書いた。

「ミジンコは漢字で微塵子と書く。微かな塵の子だ。最初はダフネの物語を借りて、微塵子という名前の女の子が変身してミジンコになったという物語を考えていたけど、さすがにこれはないと思って却下した」
 蘭堂は口を止めこちらの様子を伺う。賢明な判断だと思い先を促す。

「まあ、微塵子の微塵は、目に見えないほどの塵、非常に小さいということを意味している。木っ端微塵は木の端を目に見えないほどの塵のように粉々にすることだね。さすがに塵というのを名前に入れるのはどうかと思うね」
 微子(びし)という名前の人物が中国の古典にいたような気がしたが黙っていた。我ながら賢明な判断だと思う。

「それでもなにか微塵に別の良さげな意味はないかと思い調べていくと、微塵というのはどうやら仏教用語から来ているようで、微塵は物質の最小単位みたいだ。ゴクミというものが集まって微塵になる」
 蘭堂はノートの微塵子の近くに極微と書いた。キョクビと読むこともあるらしい。

「極微が集まって微塵となる。真ん中の極微と前後左右六個、合わせて七つの極微が集まって微塵を構成する。五組なのに七つとはおもしろいね」
 後藤久美子が出てこなかったので安心する。

「まあ、仏教での原子論のようなものだ。極微と微塵は、クオークと原子の関係に近いのかな。そういえば、原子とか分子とか素粒子とか、読み方は違うけど『子』が付いているね。ボクが通っている聞き方のセミナーのなかでも、素粒子の『子』と微塵子の『子』をかけて、微塵子は意識の最小単位であるという説を聞いた。直感のことをミジンコと言っているので、微塵子は光速と同じ、いやそれ以上のスピード、あるいはエネルギーを持っているという話だ。これはおもしろいと思い、ボクが創ろうとしているミジンコの神話にもぜひ取り入れたいと思っている」
 神話に素粒子論は合わないような気がしたが、蘭堂が想像している神話がどのようなものなのかがわからないので黙っていた。

「微塵子という漢字から言えるのは、いまのところこのくらいかな」と蘭堂が言ったので、少し力が抜けた。知らずしらず力を入れていたようだ。私がなにか言葉をかけようとしたところ、蘭堂はなにか思い出した。

「ああ、あとこんなのもあった。微塵子という漢字とは違うけどね。ネットでミジンコのことを調べていて、小学生のミジンコの観察動画を見つけた。で、ミジンコの観察をしようとした動機のひとつに、ミジンコは微塵子と書くけど、ミジンコは本当に塵やゴミのような存在なのだろうかというようなことを言っていてね。もちろん塵やゴミのような存在ではないと思っているだろうけど。そして動画の最後でひとつの提案をしていた。ミジンコの漢字は微塵子ではなく、こう書いてはどうかと」

 蘭堂はノートに「美神子」と書いた。

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