混沌より|制作中の作品【1】

――ミジンコの神話を創りたい。

そう言われた私はどんな顔をしていたのであろうか。

自分の顔は見ることができない。鏡があれば顔を映しだすことはできるが、とっさの表情を見ることはできないであろう。鏡で見ることのできる顔は、鏡を覗き込んでいる顔である。

言った本人の顔を見ると、少し照れくささがあるようだが案外真面目な顔つきで、その視線はまっすぐ私の目を捉えている。

「ミジンコの神話を創るのを手伝ってほしい」

再度、蘭堂が言った。

視線は変わらず、こちらを向いている。私がイエスと言うのを待っているようにも思う。しかし私は、――反応に困る。

ミジンコ? 神話? 手伝え?

物語を創りたいとか小説を書きたいので手伝ってほしいとか、そういうことならば、どう応えるかは別として、なんとなく話はわかる。しかし、なぜミジンコなのだ? なぜ神話なのだ? そもそも神話を創ることなんてできるのか? 神話を創るのを手伝えとは、なにをどうすればいいのだ?

学生時代のときならば「おお面白そうだね」とノリノリで応えていたかもしれないが、それから十数年たち、お互いにそれだけ年齢を重ね、多少なりとも社会を経験し、卒業以来久方ぶりに会った状況では、すぐに昔のノリに戻ることはできなかった。

蘭堂から連絡が来たのは十日ほど前のことである。

ずっと登録解除をし忘れている購読メールを整理していると、なかに見慣れぬアドレスがあった。件名に蘭堂の名が記されており、迷惑メールにありがちなランダムめいたメールアドレスでもなかったので、もしかするとあの蘭堂かと思いメールを開いてみると、やはり同窓の蘭堂であった。私の書いているブログを見つけ、そこにメールアドレスがあったので連絡したこと、そして相談があるので会えないかという内容だった。

蘭堂と同じ学部で同学年であり、同じ授業をとっていることが多かったので、自然と顔を合わせることが多かった。ただ私も蘭堂も独りでいることが苦にならなかったので、顔を合わせると話をするというような間柄で、会ったり話をしたりするのは学内でのみ、休日に一緒にどこかにでかけたり、電話やメールをしたりすることはなかった。そのような関係のまま連絡先を聞かぬままで卒業を迎え、蘭堂と顔を合わせることはなくなり、蘭堂のことを思い出すことはあるものの、機会があればまた会って話をしたいというくらいのことであった。

おそらくは、蘭堂も私と同じような性格であるため、これまで私に連絡をすることはなかったのだろう。だから蘭堂からのメールを見たときは、少し驚きもしたし、少し不安にもなった。もちろん連絡しようにもできなかったという可能性は否定できないが、これまで連絡をしなかった蘭堂が連絡をよこし、相談があるということは、余程重要なことなのではないか。私が乗れるような要件であればいいのだが、そうでない可能性の方が高い。お金の無心であったりすることは少なくとも以前の蘭堂であればないだろうが、最後に会ってから長い年月がたっているので私の知っている蘭堂とは別人となっている可能性もある。

多くの無駄話をして楽しくおしゃべりをしていた過去をもう一度経験してみたいという期待と、私の手に負えないような困難な相談事がやってくるのではないかという不安が入り混じっていたが、結局は蘭堂に会って話を聞いてみるまではなにもできず、なんとかなるだろうという楽天的な性格も加わって、蘭堂と会う約束を交わした。メールで相談内容を尋ねてみたが、会ったときに話したいと蘭堂は教えてはくれなかった。

そして、今日。実際に会って、蘭堂から聞いた相談の内容が――、

――ミジンコの神話を創りたい。

である。

壮大な無駄話がはじまりそうな予感がした。

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