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冬の出来事

だいぶ間が空いてしまった。
いろんな事があった。そして私は今、かなり疲れてしまっている。

1、義母の死

一月末に二泊三日の検査入院から帰宅し、やれやれと入浴していると、電話があり、同居の義母が入院先の病院で亡くなったことを告げられた。高齢であったので、ある程度の覚悟はしていた。
私が今の妻と結婚したのを機に、抱えていた二人の子を連れてこの家に暮らし始めて、あれから数十年。言葉では表せないほどの世話になった義母である。妻と前の夫との間にできた娘(長女)とともに、私が連れてきた二人の子(二女、長男)を、何の分け隔てもなく育ててくれた事への感謝は、言葉にし難いくらい大きく強い。そんな優しかった義母なので、私と妻は、私たち夫婦に今できる最大の力をもって、通夜葬儀から先日の納骨まで、老母の唐旅への支度を手伝い送ってあげたつもりではいる。
思うに、「義」のつく母とはいえ、一緒に暮らした年数は、実母(正確には継母)のそれよりずっと長い。すると、こうして亡くなった悲しみや寂しさは、正直、10年前の実母の死よりも強烈に心を痛めつけていて、いや、むしろそんな「悲しみの度合いを天秤に掛けている自分」という事実に、驚いてしまっている。

2、妻の病気

すると今度はその妻が体調を崩し入院してしまった。手術し一週間入院の後、いったんは退院したのだが、どうも術後の経過が芳しくなくて、また入院してしまっている。
それも最初の退院から一週間後に、夫婦で遠地にある大きな神社へ行き、妻にお祓いとご祈祷を済ませてきた、その翌日に、である。
これでは神も仏もあったものではない。私は呆れてしまった。
束の間の独身生活。しかし、妻のいない家は寂しい。妻と言うよりは、昭和の男尊な風土に育った私には、女のいない、女気のない、つまり女手のない家といったものが、甘い化粧品の匂いもなく、がらーんとして埃っぽくて、なんだか小便臭くもあり、それらはあまりに殺風景で虚しい。気晴らしに街に行くというのも時勢柄ままならず、そうなると、まるで夜が長い。別れた恋人もそんな私を気遣って励ましのLINEをくれたが、決してそれ以上の事は、なかった、残念!(笑)
結果、私は毎夜、しんと静まり返った家の中で、ひとりぽつんとして、途方に暮れてしまっている。

3、墓じまい

さて、私には、この春から夏までの間にらやらなくてはならない大きな仕事がある。
先妻の墓を閉じる、と言う大きな仕事。それとに家の物置の隅に隠してある、先妻と子ども達の写真アルバムをすべて処分し、形として残っている一切の思い出を捨て去ること。この二つだ。
妻が入院しているこの今が、とばかり先日、午後半休を貰って私はいいよいよその二つの作業を始めた。思い出は頭の中だけにしようと思いつつも、今ではない気がして、ためらって先延ばしにしてきたが、もう躊躇できない。
私の先の妻が眠っているのは、何十年か前に市が分譲した市営の霊園である。若かった私は、妻の葬式を終えて、目前にある骨になった妻と、いずれ入るであろう自分を想定して、安くないお金を出し墓地を借り墓石を建てた。だが再婚して今の家族には立派な墓があり、また田舎ゆえ、我が家は大きな寺の檀家にもなっていて、老いた先の自分には先妻の墓を維持する事は土台無理である。そもそも私の連れてきた二人の子供には墓があることは告げてはいるが、私の死んでのち、その維持をお願いとはとても言えない。
もうこれ以上の躊躇は許されないと決心をして、私は市役所にいき、墓をどう閉じたらよいのか、墓穴から拾いあげた骨をどうしたらよいのか、あれやこれやのアドバイスを貰った。
うん、何とかなる。自分の手持ち資金の範囲で何とか墓じまいができそうだ。女性の担当者に色々話を聞いて、少し溜飲を下げた。

とまあ話が終わって立ちあがると、担当してくれた女性が、
「もしかして、○○くん?(私の本名)、あたしと小学校の同級生じゃありません?あたし、結婚してこの名札にある名前になっちゃったけど、ほら、○○みちこです、小学校の南にすんでいた・・」
彼女、小学校の同級生、中学ではクラス違いの同窓生でした。そして、
「ああ、○○電器の○○子ちゃん!、仲良しでしたよ」死んだ妻とも子供時代は仲良し友達だったようで、そんな思い出のすりあわせを少しばかりした。今後も墓じまいのアドバイスをしてくれると言葉を頂き、胸をなで下ろした、そんな午後だった。

4、思い出を捨てる

その夜。それは何十年も前。先の妻と結婚し子供を設け、これぞ夫であり父であるという証とばかり、若き私が必死に作った写真アルバム。そこにコメントとともに貼られたたくさんの写真。それらすべてを取り外し、破き捨てる作業をしたのだが、わかってはいたけれど、それはやはり悲しい作業であった。何故なら今まで、写真の一葉とて捨てようとは、ついぞ思うこともなく、むしろ今の妻に見つかることのないよう、アルバムを物置の隅の隅のその奥に必死に隠し続け、ずっと保管していくこと、ただそれだけが使命であったからだ。



後半へつづく(キートン山田さん風に)