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われ山に向かいて目を挙ぐ 9

9,思い出

初秋の日曜日、私は久しぶりに妻の眠るお墓へ行った。
自宅から車に乗って30分ほど、細い山道を上がると、市の運営する公社が維持をしている共同墓地がある。山の斜面を削って区画整理されたその墓地は、町に向かった南斜面側には広がっておらず、人たちの生活から隠れるように山の反対斜面に造成されており、墓地までは、その山の裏側に向かって回り込むように作られた道をクネクネと行かなくてはいけない。
今の家族の手前、お盆や彼岸にはそのお墓には行かない私なのだが、実はその日、以前からたくらんでいた「白玉石」を墓に撒く、という謂わばイベントをしに出かけたのだ。
先妻のYが死んだのが、ある年の12月、長い冬があけて3月に私は、まだ多少空きのあった霊園の一区画を何とか手に入れ、ささやかな墓を作った。

亡き妻の墓を作ろうとしていた私に向かって私の両親は、改めて墓を作らなくともよいではないか。前もって買ってある自分たちの墓に合葬すればよい、そんなところにお金を使わず子供の養育のために使いなさいと、ありがたい言葉をかけてくれたのだ。後ほど書く理由で、今となってはあの時の勧め通りにした方がよかったのかもと思わないでもないけれど、当時の私といえば、妻だけの住む、時々誰にも知られずにこうして彼女と一緒にいられる、二人だけの場所があってもいいと、それまで二人で貯めたお金を使って、墓を作ったのだった。親の温かいアドバイスを断った事への後悔は、その時はなかった。
ただこの東斜面に作られたお墓はいささか寂しい。近くを通る車も少なく、松林を揺らす強い風の中であまりに寂寥としていて、眠っている妻も一人ぼっちで、さぞ寂しいだろうなどと考えてしまう時もあり、気持ちは少し複雑だ。

墓を作って、それから幾年も経った。いや幾十年も過ぎてしまった。
今年の春にここへ来て、特に何とは無しに草むしりなどして、妻を偲んでいたときふと気づいたのだ。墓石の周囲に敷き詰めておいた白黒の砂利が色あせしなびてきて、また半分は地面に潜り始めたのか敷石の白い明瞭さが失われてきていてなんともみすぼらしくなって来ていることを。周りに新しく立てられた墓と比して、さすがに古ぼけた感じはゆがめない。
私は思いついた。そうだ、早いうちに白い石を買ってきてもう一回、墓石の周りを飾ってあげよう、区画いっぱいに敷き詰め直してあげよう。そうしたら妻も喜ぶだろう。
それが、今日なのだ。
墓に向かう前に、私は近くの大きなホームセンターに出かけた。店外のガーデニング売場に幾種類か並べられていた、玄関軒先用の玉石。その中でも一番小さい粒のものを2袋、重さでは10キロを2袋、買ってきておいたのだ。
墓に到着した私は、泥棒でもないけれどなんだか悪いことをしているような気もして、キョロキョロ誰もいないのを確認して、早速白玉石を運び敷設した。二袋バラバラっと区画いっぱいに広げてみた。
「あれ、なんだか違うぞ」
私はきょとんとしてしまった。それは今まで敷いてあった石と比して余りに大きい粒だったのと、見比べるまで気づかなかったけれど買った玉石は白い石のみだったのだが、墓を作ったときに敷き詰めた石は白黒の混在するものだったからだ。敷き終わって私の区画を再度みてみると、墓の持つ印象とはべつになんだか明るさが増してしまっているのだ。私は思わず、微笑んでしまった。
「明るい墓って変だけど・・・」
周りの墓と違い丸い白い玉石が敷かれた私の墓は少し滑稽で、いや寧ろ墓の持つ殺伐とした無機質な印象はなくなったことに気づいて、私は少し微笑んでしまった。
「いや、これでいいのかもしれない、少しは明るくなって妻のYも喜ぶだろうし」
そうして、白玉石を敷いたほんのり明るい墓の前で草取りをし、石に水を掛け、しばらくボーッとして、いよいよ私は帰ることにした。
駐車スペースまで歩いて帰るとき、何か今回ももう一つイベントをしようと考えた。わざとらしいというかも知れないが、これをこのnoteに書こうとして考えたイベントだろと言われても致し方ないのだが、正直このまま知らんぷりをして帰りたくはなかったのだ。妻をなくして数年後に得た新しい家庭に、のほほんとした顔をして、何もなかったような、うん、ちょっと本屋に行ってきたんだよ、風の顔をして今の生活に帰る自分が見えて嫌らしかったのだ。そのためにはあえてもう一つイベントが必要だったと言うわけだ。
もう一つには、事実、墓の前で妻がこちらに手を振っているからだ。32歳のままの若い妻が、はっきりとこちらに向かって、私の一番大切にしている一葉の写真と同じように首を少し傾げて微笑んでいるのが見える。多分おそらくは、前回の墓参りの時、帰りに見た光景が残像としてあって、自分の中でも、妻が墓の上に立って手を振ると言う光景が毎回のこととして持続できたら楽しいだろうと思う「強い」気持ちが、現実として表現されるのだろうけれど、つまり見ようと念じているから見えるのだ。妻を見たいと思って見るから結果として見えるのだ。ここに来たら妻はいつも手を振ってくれると思いたい。それは妻を愛しているからという理由だけではなくて、彼女にすまないという心象が実相として心に刻みこまれ、持ち続けているからなのだ。
再度キョロキョロ辺りを見回す。
もう一つのイベントに際して私は、この霊園に少なくとも見渡す限りにおいて、だれもいないことを確認した。
うん、誰もいない
そう確信してやおら私は大声を張り上げる。
「バイバーイまたくるよ」
もう一回もっと大きな声で「またくるよ」
私はこうしてやっとその霊園をあとにすることができた。いつものように泣いてしまっていたので、涙目のまま運転して側溝に脱輪してしまわぬかと、変な心配などしながら、それでも、人たちが暮らす街と、家族が暮らす家と、へ帰路に就いたのだ。

さきほど、妻の墓を作ったことに後悔はないと書いたが、本当は嘘だ。
うそをついてしまった。
妻Yと出会うための唯一の接点がすなわちここ、お墓なのだが、一方で現実問題としてこの墓を維持していくことに不安を持っている。子供にはこの墓のあることすら話してはいないし、今の妻も知らない。こうして足腰が動く間は心配ないのだが、はて私とてほぼ間違いなく老人になる。墓を作った頃は、自分が年をとるという発想すらなく、老人の自分を想定できなかった。それは皆も同じなのだろうけれど、現実的な時間の問題として、そろそろ決断をしなくてはならないのだ。墓を潰して市に返さなくてはならない、5年に数万円の維持費を納めなくてはならないし、その義務を子供に引き継ぐ訳にはいかないからだ。私が亡き妻と会うという勝手を引き継ぐことはできない。妻の骨をすべて拾ってどこかへ散骨しなくてはならない。その時は一体いつなんだろう。
私はこわいのだ、墓を失う日がいつか来るという事が。

麓の町で、今の妻と仲良く暮らしながらも、私は時折、お墓のある山に向かって顔を上げる。
声にならない声でそっとつぶやく。
「我が助けはいずこより来るや」