われ山に向かいて目を挙ぐ 2

金子光晴の「老体地獄」という小文を読んでみた。そこにはおかしなそして言い得て妙な一文が中ほどに書かれている。
「悲劇の本質は消耗品である人間の肉体が(老人になって)がたがたしてかえ(替え)がきかないのに精神だけがいつまでも青いということである」
金子翁のご指摘通り、懲りない私は青臭い心のまま32才の亡き妻といちゃいちゃデートする。ただ自分は老いさらばえて汚れ、皺だらけドブネズミと化した一方で夢の中の妻はいつまでも32才なのだというこの現実を、なんとか妄想の中では都合よく誤魔化せないものだろうか。

2、悲しい妄想

私は毎朝早めに出社する。寒い雨が降っていたその日も、前の日とその前の日と同じように会社へ出勤して、事務所には寄らずに作業場にある自分の机に向かった。「おはよう自分の居場所くん!」そうしてまたいつもと同じように始業時刻までの数十分、読書をしたり日記を書いたり、ゆっくりと過ごしていた。
そう、おそらくは遠くに住む娘の事を考えていたのだろうか、突然に、不意に、娘の母である亡き妻Yの一枚の写真を思い出してしまった。娘が2歳11か月の時に死んだ妻。
自宅物置の奥に隠した段ボール箱。その中にこっそりとしまってある亡き妻の写真。
ああ、久しぶりに開けて見てみたいな。妻Yと会いたいな。

その数日後、家の者が留守の時をねらって、その一葉の写真を箱から出してみた。その箱には台紙に張ったキャビネサイズの妻の写真のほかに、二人の子供が生まれてから妻が死ぬまでの家族写真のアルバム数冊、それと妻の小さな位牌が入れてある。もちろん今の妻は箱の存在を知らない。
○○年2月と台紙にかかれたその写真は、当時住んでいたアパートの近くにある公園のベンチに座るYの姿を撮ったものだ。26歳のY、私との結婚式の前後だろう。若いYは幸せそうに優しくこちらの私にそっと微笑みかけている。柔らかな頬を少し緩ませてにこりと微笑んでいる。その優しい笑みを浮かべた瞳の奥にある、幸せ薄い彼女の境遇。私は寂しさというか悔しさに似た、なぜ彼女を守れなかったのか、死なせてしまったのかという後悔の気持ちで頭の中がいっぱいになる。そうしてただそのまま、物置の奥でおろおろとうろたえてしまう。死なせたのではない、自分が殺してしまったんだと考え始める。うつ病だとは気づかなかった。ああ、あのとき「あのね、あたし今日、どこに行ったのか教えてあげる、死ぬ場所を探しにいったんだよ」そんな会話を私に投げかけてきたとき、薄笑いしたまま鬱陶しさのあまり話を終わらせてしまったのだ。なぜそのままにしてしまったのか。
そんな一つ一つの記憶を蘇らせては、バカな話だが、誰もいない自宅の物置の奥で、私はひーひーと大人げない声をあげて泣くのだ。すでに初老にはいったこの私が子供のように泣いてしまうのだ。
そうだ。記憶の隅にずっと焼き付いたままのそんな一枚の写真が何の脈絡もないまま時折、頭のなかをいっぱいにして私を昔に戻す。亡き妻Yの幸せ薄い生涯を知っているからこそだ。これは一つの悲しい条件反射だ。
でも泣いた後、なんだか目頭が疲れてしまって、というより写真一枚を見て泣いている自分に、少し恥ずかしさにも似た白々しい気持ちになってしまって、急に平常に戻る。顔を上げても何だか素面の自分は自分でない気がして、そうしてまた寂しくなって物置に置かれた椅子に腰かけ、今度は目を閉じてみる。さあまた例のように妄想を始めよう。
当然ながらその公園と妻の座っていたベンチが頭の中にはいって来て、明るい公園の情景で目の奥が映画館のスクリーンとなる。妄想が作る幻影だ。
やがてその情景は段々とストーリーを持ち始める。「あ、やばい」私はいったん目を開けるが、続き見たさに再び目を閉じる。すると私自身がが今度はその公園とベンチの光景の中に入っていってしまうのを感じる。この老体のまま皺だらけの今の私がそのまま公園へと時空を戻っていってしまったのだ。
冬枯れた公園の隅できょろきょろと見渡す私。「こんなじじいになって妻に会うのが恥ずかしいな」などと。でもそのベンチにはなぜかYはいない。
ただ一人の若い男がそのベンチに座り込んでいるのが見えてくる。
それは誰でもない、うなだれた私、茫然とした、疲れ切った面もちの若き日の私。見ている私とは別のもう一人の自分。ベンチに座り込んだ若い私は、それからの自分が妻の死を心に刻むことなくただ下を向いて毎日を繰り返していたのかを知っているかのように諦念と疲労とを背負って、ずっしりと下をむいたままだ。妻を失ってからの私が得たもの、それは無限の諦念と強い疲労。それが時代をさかのぼりベンチに座るもう一人の私に姿を変えてしまったのかもしれない。
公園の隅にいる老体な今の私とベンチに座る若かった頃の私。二人の自分。
ベンチの若い私が妻の死後の自分を知っている?
次第に妄想に帳尻が合わなくなってくる。
私は途端、びくっとして現実に戻る。目を開ける。そうして物置の奥で呆然としている自分に戻るのだ。あれ、なんだか何が本当で何が妄想だったんだろうて、きょろきょろとあたりを見渡すのだ。家族に見つからなくて良かったって。
悲しいけれど私のひそやかな幸せ。ちぎれた記憶をジグソーパズルのように一つずつつなぎ合わせていく。ピース(小片)がすべて揃ったら、死んだ妻が実体として私の前に現れてくれる。
きっと、ね。